2011年03月10日
ふゆ~な~
久しぶりにUPします
タイトルの「ふゆ~な~」は怠け者っていう意味です(笑)
やっと春が来るのかなぁ~って
ぼんやり 穏やかな青い海を眺めていたら
翌日は 冷たい風が吹き 白い波しぶきを上げる荒れる海
まるで 最近の沖縄
この船は 本土と沖縄を行ったり来たり
人も物も運ばれていくけど 今沖縄で起こっていることは何にも伝わってない
沖縄タイムスと琉球新報だけが頑張る
こんな大変なこと 本土のメディアがとりあげてくれないのはなぜ?
メディアがとりあげないから知らない
知らないから考えられない
どう考えるかは人それぞれだけど
メディアには 伝える義務があると思うんだけどなぁ
情報はちゃんと流してください!って言いたい
同じ日本での出来事なのに 同じ日本人なのに他人事はないよね
知らないことは「罪」なんだよって・・・そう思う
最近 私には日本が遠い国のように感じる
重たい気分・・・・
気がつけば一日が終わってる
そんな 日々を過ごしている私です
沖縄タイムスと琉球新報の記事
毎日michiさんがUPしているので読んでみてください
「地元紙で織る沖縄」 http://michisan.ti-da.net/
去った3月4日は「三線の日」
こちらでは ラジオの時報とともに一斉に「かぎやで風節」の演奏がされました
県下には約22万丁の三線があるとか
22万丁の三線と22万人のうたう「かぎやで風節」
もしかしたら 偏西風にのって遠い本土まで届いていたかもね~
私たちも 夕方6時の時報にあわせて 寒風の中
「西島宗二郎先生の胸像」の前
石ころだらけの地面に蓆を敷き ひざまづきして
「かぎやで風」「恩納節」「ごえん節」「辺野喜節」「揚作田節」を演奏
地面の冷たさと痛さに耐えながら 不謹慎だけど 想像してしまいました
時代劇の下手人の気分 こんなかなぁ~って
北風ピューピュー 今年2度目の風邪ひきました
琉球古典音楽
八八八六の三十音からなる琉歌
琉歌を学びながら 古典音楽をうたうことで
その時代に生きた人々のおもいと暮らしを知ることができる
「琉球」すごく魅力的です
その時代に生きてみたかった
今日は 汗ばむくらいの気温
鳥も蝶も嬉しそうです
庭に来た 若いサシバと目があってチムどんどん
繰り返し潮にやられ 去年は一度も花をつけなかった
今度こそ 枯れてしまったと思っていたブーゲンビリアが芽をだしました
オキナワ夾竹桃とプルメリア
それから秋に移植したガジュマルが心配です
あっという間に ヒメキランソウの花が開きました
ヒメキランソウと マイ三線の C子さん/B子さん/A#さん/二揚さん
この4丁の三線は 私の部屋で いつも静かに私を待っていてくれます
その日の声の調子で さっと弾けるように
準備だけはバッチリなんですけど・・・・・
野村流音楽協会の第七代会長を務めた
故西島宗二郎先生(1982年死去)は今帰仁村出身
タイトルの「ふゆ~な~」は怠け者っていう意味です(笑)
やっと春が来るのかなぁ~って
ぼんやり 穏やかな青い海を眺めていたら
翌日は 冷たい風が吹き 白い波しぶきを上げる荒れる海
まるで 最近の沖縄
この船は 本土と沖縄を行ったり来たり
人も物も運ばれていくけど 今沖縄で起こっていることは何にも伝わってない
沖縄タイムスと琉球新報だけが頑張る
こんな大変なこと 本土のメディアがとりあげてくれないのはなぜ?
メディアがとりあげないから知らない
知らないから考えられない
どう考えるかは人それぞれだけど
メディアには 伝える義務があると思うんだけどなぁ
情報はちゃんと流してください!って言いたい
同じ日本での出来事なのに 同じ日本人なのに他人事はないよね
知らないことは「罪」なんだよって・・・そう思う
最近 私には日本が遠い国のように感じる
重たい気分・・・・
気がつけば一日が終わってる
そんな 日々を過ごしている私です
沖縄タイムスと琉球新報の記事
毎日michiさんがUPしているので読んでみてください
「地元紙で織る沖縄」 http://michisan.ti-da.net/
去った3月4日は「三線の日」
こちらでは ラジオの時報とともに一斉に「かぎやで風節」の演奏がされました
県下には約22万丁の三線があるとか
22万丁の三線と22万人のうたう「かぎやで風節」
もしかしたら 偏西風にのって遠い本土まで届いていたかもね~
私たちも 夕方6時の時報にあわせて 寒風の中
「西島宗二郎先生の胸像」の前
石ころだらけの地面に蓆を敷き ひざまづきして
「かぎやで風」「恩納節」「ごえん節」「辺野喜節」「揚作田節」を演奏
地面の冷たさと痛さに耐えながら 不謹慎だけど 想像してしまいました
時代劇の下手人の気分 こんなかなぁ~って
北風ピューピュー 今年2度目の風邪ひきました
琉球古典音楽
八八八六の三十音からなる琉歌
琉歌を学びながら 古典音楽をうたうことで
その時代に生きた人々のおもいと暮らしを知ることができる
「琉球」すごく魅力的です
その時代に生きてみたかった
今日は 汗ばむくらいの気温
鳥も蝶も嬉しそうです
庭に来た 若いサシバと目があってチムどんどん
繰り返し潮にやられ 去年は一度も花をつけなかった
今度こそ 枯れてしまったと思っていたブーゲンビリアが芽をだしました
オキナワ夾竹桃とプルメリア
それから秋に移植したガジュマルが心配です
あっという間に ヒメキランソウの花が開きました
ヒメキランソウと マイ三線の C子さん/B子さん/A#さん/二揚さん
この4丁の三線は 私の部屋で いつも静かに私を待っていてくれます
その日の声の調子で さっと弾けるように
準備だけはバッチリなんですけど・・・・・
野村流音楽協会の第七代会長を務めた
故西島宗二郎先生(1982年死去)は今帰仁村出身
Posted by fumi at
17:21
│Comments(2)
2011年01月22日
夢と現実
一日おきに寒かったり 暖かかったり・・・・
でも 太陽がでると一瞬にして
海の色も空の色も こころの色もかわる
今日そんな ぬけるような青空を見上げていると
「飛行機に乗って どこか遠くに行きたい!」という衝動に駆られた
久しぶりに辺野古までドライブ
我が家から 山を越えて東海岸へ抜ける途中
常緑樹がメインのやんばるの森は
イタジイを中心にオキナワウラジロガシやマテバシイなどのブナ科の樹木に
クスノキの仲間のヤブニッケイ ツバキの仲間のイジュなどの木が入り混じり
森の樹冠部はブロッコリーを敷き詰めたようで とってもおもしろいんだよ~
眺めているだけで 空想の世界 夢見るゆめ子になってしまう私
紅葉?
今年は この冷え込みの影響か いつもより赤いような気がします。
多分 「リュウキュウハゼ」と「ウルシ」の木です。
そして 数日前に撮影したサクラです。
昨日から 今帰仁城跡でも「さくら祭り」がはじまりました。
やんばるの山では 桜が咲くころ
リュウキュウハゼやホルトの木 ナンキンハゼの木が真っ赤に色づくんです
ちなみに やんばる(私の住んでいる今帰仁もやんばる)は
自然豊かな森の広がる 沖縄の北部地域のことをさし
山原と書き「やんばる」と呼ばれ かつては建材や薪炭材の供給地でした
南部(都会)に住む人は
気の毒そうに 私たちに口をそろえてこう言います。
「やんばるは不便だし 冬はとっても寒いでしょう」って(笑)
わざわざ本土から来て そんな田舎に住まなくってもって感じですかね~
本土の冬に比べると
雪も霜も 氷とも無縁の場所なので 寒いなんて言えないんですけど
今年は小さな声で 言いますね
「今年の冬は晴れ間が少なくて寒いよ~!」
だけど やんばる 大好き!
久しぶりの辺野古
テントの中には5~6人
他に 中型バスで来た 数十人の人たちが
浜で フフェンスの前で 熱心に説明を聞いていた。
その中には 外国の人の姿も
海はいつものように穏やかで
座り続けている人の顔も 穏やで
「久しぶりですね!」の笑顔がまぶしい
辺野古に基地はつくらないで!
普天間移設!
海兵隊のグァム移転!
みんなで こんなして お願いしているのに
米空軍嘉手納基地に21日午後 アラスカ州アイルソン空軍基地所属の
F16戦闘機6機が飛来した。
2月中旬まで駐留予定。
先に飛来したF22戦闘機などの外来機を含めると
嘉手納基地には21日現在30機余りの外来機が集結する
異常事態となっている。
F16は合計12機が飛来する予定で今回は第1陣。
残りの機体は22日以降に飛来するとみられる。
同機は塗装が派手なことで知られる第18アグレッサー(仮想敵)中隊所属で
嘉手納基地をはじめ世界中の米軍基地に派遣される。
嘉手納ではF15戦闘機との模擬空中戦を予定している。
F16は2010年2月にもF15との合同訓練を目的に飛来し
連日爆音を響かせていた。
同年2月24日には1999年以降では最高値となる108デシベルの騒音が
嘉手納町屋良で計測され
苦情も町に多数寄せられた。
科でな基地に飛来した外来機は今週初めごろから本格的に訓練を開始。
18日以降 嘉手納町屋良で連日70デシベル以上の騒音回数が
150回を越え 20日は180回を記録した。
前年度の1日平均騒音発生回数は113回。
相次ぐ外来機の飛来に嘉手納飛行場に関する三市町村連絡協議会町の
野国昌春北谷町長は「北沢防衛大臣は来県の時
F15のグァムへの訓練移転を
手柄のように話していたが
結局外来機は来ており 住民として許し難い状況だ」と憤った。
みんなに知ってほしい!
グアムへの訓練移転って
こういうことみたいです。
これが現実なのです
どうしてこうなっちゃうのかな・・・・・・・
今日の 琉球新報の記事より
でも 太陽がでると一瞬にして
海の色も空の色も こころの色もかわる
今日そんな ぬけるような青空を見上げていると
「飛行機に乗って どこか遠くに行きたい!」という衝動に駆られた
久しぶりに辺野古までドライブ
我が家から 山を越えて東海岸へ抜ける途中
常緑樹がメインのやんばるの森は
イタジイを中心にオキナワウラジロガシやマテバシイなどのブナ科の樹木に
クスノキの仲間のヤブニッケイ ツバキの仲間のイジュなどの木が入り混じり
森の樹冠部はブロッコリーを敷き詰めたようで とってもおもしろいんだよ~
眺めているだけで 空想の世界 夢見るゆめ子になってしまう私
紅葉?
今年は この冷え込みの影響か いつもより赤いような気がします。
多分 「リュウキュウハゼ」と「ウルシ」の木です。
そして 数日前に撮影したサクラです。
昨日から 今帰仁城跡でも「さくら祭り」がはじまりました。
やんばるの山では 桜が咲くころ
リュウキュウハゼやホルトの木 ナンキンハゼの木が真っ赤に色づくんです
ちなみに やんばる(私の住んでいる今帰仁もやんばる)は
自然豊かな森の広がる 沖縄の北部地域のことをさし
山原と書き「やんばる」と呼ばれ かつては建材や薪炭材の供給地でした
南部(都会)に住む人は
気の毒そうに 私たちに口をそろえてこう言います。
「やんばるは不便だし 冬はとっても寒いでしょう」って(笑)
わざわざ本土から来て そんな田舎に住まなくってもって感じですかね~
本土の冬に比べると
雪も霜も 氷とも無縁の場所なので 寒いなんて言えないんですけど
今年は小さな声で 言いますね
「今年の冬は晴れ間が少なくて寒いよ~!」
だけど やんばる 大好き!
久しぶりの辺野古
テントの中には5~6人
他に 中型バスで来た 数十人の人たちが
浜で フフェンスの前で 熱心に説明を聞いていた。
その中には 外国の人の姿も
海はいつものように穏やかで
座り続けている人の顔も 穏やで
「久しぶりですね!」の笑顔がまぶしい
辺野古に基地はつくらないで!
普天間移設!
海兵隊のグァム移転!
みんなで こんなして お願いしているのに
米空軍嘉手納基地に21日午後 アラスカ州アイルソン空軍基地所属の
F16戦闘機6機が飛来した。
2月中旬まで駐留予定。
先に飛来したF22戦闘機などの外来機を含めると
嘉手納基地には21日現在30機余りの外来機が集結する
異常事態となっている。
F16は合計12機が飛来する予定で今回は第1陣。
残りの機体は22日以降に飛来するとみられる。
同機は塗装が派手なことで知られる第18アグレッサー(仮想敵)中隊所属で
嘉手納基地をはじめ世界中の米軍基地に派遣される。
嘉手納ではF15戦闘機との模擬空中戦を予定している。
F16は2010年2月にもF15との合同訓練を目的に飛来し
連日爆音を響かせていた。
同年2月24日には1999年以降では最高値となる108デシベルの騒音が
嘉手納町屋良で計測され
苦情も町に多数寄せられた。
科でな基地に飛来した外来機は今週初めごろから本格的に訓練を開始。
18日以降 嘉手納町屋良で連日70デシベル以上の騒音回数が
150回を越え 20日は180回を記録した。
前年度の1日平均騒音発生回数は113回。
相次ぐ外来機の飛来に嘉手納飛行場に関する三市町村連絡協議会町の
野国昌春北谷町長は「北沢防衛大臣は来県の時
F15のグァムへの訓練移転を
手柄のように話していたが
結局外来機は来ており 住民として許し難い状況だ」と憤った。
みんなに知ってほしい!
グアムへの訓練移転って
こういうことみたいです。
これが現実なのです
どうしてこうなっちゃうのかな・・・・・・・
今日の 琉球新報の記事より
Posted by fumi at
22:32
│Comments(4)
2011年01月19日
むーちー びーさー
数日前から風邪
すごい咳と声枯れ 結構辛い
考えてみたら こっち来て4年
一度もこんなことなかったなぁ~
本土にいた時は大仕事が終わる度に
しょっちゅう こんなだったのにって思い出した
ちょっと前の話だけど
1月11日(旧暦の12月8日)はムーチーの日でした
ムーチーは
もち粉に水でこね 平たく長方形の形に形を整え
月桃(方言ではサンニン)の葉で包んで蒸したお餅のこと
なにも入れない白もありますが
黒砂糖や紅いものもあったりして
私は黒糖味の茶色のムーチーが好き
このお餅は サンニンの葉(カーサ)で包むので「かーさむーちー」ともいい
神棚や仏壇 台所のコンロの近くに祭っている火の神(ヒヌカン)などに供え
家族 特に子どもの健康を祈願します
月桃の香りはとてもいいのですが 独特な香りなので
私も最初はたくさん食べられませんでした(笑)
今はもう 美味しくいただいてますよ
このむーちーの日の頃 沖縄では北風がふきとても寒い日が続くので
この寒さをこちらでは「むーちーびーさ(餅冷え)」といいます
「びーさ」とは「寒い」という意味
近所の人との挨拶も
「びーさだね~」
「そうそう 寒い寒い!」って感じです
もしかして私
今年は このむーちー食べてないから 風邪ひいちゃったかもね・・・・・
この冬は 日本中どこもかしこも大荒れのニュースばかりだけど
昨日は、ヤンバルの奥という所で最低気温が6.6度まで下がり
名護市ではアラレがふったというニュースが流れました
15日から強い冬型の気圧配置で寒気の影響を受け冷え込んだ沖縄地方。
沖縄気象台によると
16日は国頭村奥で午前5時52分に今季最低となる6.6度を観測し
那覇でも最低気温9.3度(午前5時18分)を観測
今季初めて10度を下回った。
最高気温は平年より6.8度低い12.3度。
沖縄タイムス社には
名護市の住民からあられが降ったとの情報が寄せられたほか
鹿児島県奄美大島では雪が確認された。
沖縄地方は16日 くもりや雨の天気で 北よりの強い風が吹き
気温が上がらない一日となった。
名護市では午前9時ごろ
同市城の市道を清掃していた住民があられが降るのを確認した。
玉城義健さん(66)は
「雨が上がったと思ったら、パラパラと降ってきた。
時間にして30秒ぐらい。家族に声を掛けたが、すぐにやんでしまった。
あられを見たのは小学校のころ以来」と話していた。
17日の那覇はくもりの天気で、気温は最低11度、最高14度と予想。
この寒さは18日ごろまで続く見込み(沖縄タイムス)。
我が家から見る景色も 晴れたり曇ったり 降ったりやんだり
暑かったり寒かったり
日によって 時間によって 目まぐるしく変わるから
寒さに 体がついていけなくって 肩こり 首こり 背中こり・・・
ここの北風は半端じゃない 北側に出ると吹き飛ばされそうになるけど
大荒れの海も捨てたもんじゃないって思う
久々に 名護の友だちに質問された
自分は 穏やか~な名護湾見ながら一生暮らしたいと思って名護に住んでる
今帰仁の海のそばなんて絶対住みたくないさ~
今帰仁はとっても寒いしよ~
北向きの あの荒涼とした景色
荒々しい北の海見ながら暮らす人なんて
いないんじゃないの~って思ってたけど
なんでまた 今帰仁ね~って
そう?
今帰仁はいいとこだよ~
今日みたいに 北風ビュービュー寒くっても
自然いっぱい残ってるし 家のまわり人工物ほとんどないし
それって そんなところってどんどんなくなってるさ~
夏の間あんなにたくさんいた 小鳥たちもヤールーもずいぶん少なくなり
夜道でよく出会ったはたけネズミもカニも ここのところ見かけません
季節の移り変わりを感じます
こんなに寒い日が続くと
確かに
「あ~あ~早く夏が来ないかな~」って思うこともあるけど
そう思った瞬間 太陽が春のような暖かさをくれたり
食品ロッカーの中に こっそり隠れて生きているヤールーの赤ちゃんや
ぷくぷく太ったスズメやヒヨドリが 芝生の中の餌をついばむ姿や
潮が引きはじめ 目の前にイノーが現れはじめると
きまって餌を獲りにやって来るサシバのカップルにこころ温まったり
幼鳥も 今年は多く
庭の石の上や アダンの葉っぱの先にとまって 私を喜ばせてくれます
最後に つい最近あった面白い話をひとつ(笑)
「おねえさん どこのシマの人ね~」
「私?仲尾次だけど・・・・」
「仲尾次のどこね~」
「サーラ浜のちかく・・・・」
「あの海のそばの お家ね~」
「わかるの~」
「わかるさ~ あのあたりの浜はよ~昔は貝とか蛸とかいっぱいいたさ~」
「そうだね・・・・最近はみんな獲られて少なくなってしまったさ~」
「ところで ねえさん 兼次中学校 何年卒ね?私も兼次中学校だけど」
ギョッ 私のこと?
隣で いつものようにミチさんクスクス・・・・・
近くにいた 今帰仁の友だちもニヤニヤ
「エッ? 私 兼次中学校じゃないけど・・・・・」
「じゃぁ どこね?」
「内地だけど・・・・・」
「あい!はっさみよ~ あんた ナイチャーね?
私はまた ナキジンチュだとばっかり思っていたさ~」
こんなこと もう数えきれないくらい経験したけど
何回あっても 面白い。
こんな会話で始まって 私は何人の人と仲良くなっただろう・・・・・
人は 自分はどこから来たか
考えただけで夢が広がるよね~
ほんと 私はどこからきたんだろうって思う。
すごい咳と声枯れ 結構辛い
考えてみたら こっち来て4年
一度もこんなことなかったなぁ~
本土にいた時は大仕事が終わる度に
しょっちゅう こんなだったのにって思い出した
ちょっと前の話だけど
1月11日(旧暦の12月8日)はムーチーの日でした
ムーチーは
もち粉に水でこね 平たく長方形の形に形を整え
月桃(方言ではサンニン)の葉で包んで蒸したお餅のこと
なにも入れない白もありますが
黒砂糖や紅いものもあったりして
私は黒糖味の茶色のムーチーが好き
このお餅は サンニンの葉(カーサ)で包むので「かーさむーちー」ともいい
神棚や仏壇 台所のコンロの近くに祭っている火の神(ヒヌカン)などに供え
家族 特に子どもの健康を祈願します
月桃の香りはとてもいいのですが 独特な香りなので
私も最初はたくさん食べられませんでした(笑)
今はもう 美味しくいただいてますよ
このむーちーの日の頃 沖縄では北風がふきとても寒い日が続くので
この寒さをこちらでは「むーちーびーさ(餅冷え)」といいます
「びーさ」とは「寒い」という意味
近所の人との挨拶も
「びーさだね~」
「そうそう 寒い寒い!」って感じです
もしかして私
今年は このむーちー食べてないから 風邪ひいちゃったかもね・・・・・
この冬は 日本中どこもかしこも大荒れのニュースばかりだけど
昨日は、ヤンバルの奥という所で最低気温が6.6度まで下がり
名護市ではアラレがふったというニュースが流れました
15日から強い冬型の気圧配置で寒気の影響を受け冷え込んだ沖縄地方。
沖縄気象台によると
16日は国頭村奥で午前5時52分に今季最低となる6.6度を観測し
那覇でも最低気温9.3度(午前5時18分)を観測
今季初めて10度を下回った。
最高気温は平年より6.8度低い12.3度。
沖縄タイムス社には
名護市の住民からあられが降ったとの情報が寄せられたほか
鹿児島県奄美大島では雪が確認された。
沖縄地方は16日 くもりや雨の天気で 北よりの強い風が吹き
気温が上がらない一日となった。
名護市では午前9時ごろ
同市城の市道を清掃していた住民があられが降るのを確認した。
玉城義健さん(66)は
「雨が上がったと思ったら、パラパラと降ってきた。
時間にして30秒ぐらい。家族に声を掛けたが、すぐにやんでしまった。
あられを見たのは小学校のころ以来」と話していた。
17日の那覇はくもりの天気で、気温は最低11度、最高14度と予想。
この寒さは18日ごろまで続く見込み(沖縄タイムス)。
我が家から見る景色も 晴れたり曇ったり 降ったりやんだり
暑かったり寒かったり
日によって 時間によって 目まぐるしく変わるから
寒さに 体がついていけなくって 肩こり 首こり 背中こり・・・
ここの北風は半端じゃない 北側に出ると吹き飛ばされそうになるけど
大荒れの海も捨てたもんじゃないって思う
久々に 名護の友だちに質問された
自分は 穏やか~な名護湾見ながら一生暮らしたいと思って名護に住んでる
今帰仁の海のそばなんて絶対住みたくないさ~
今帰仁はとっても寒いしよ~
北向きの あの荒涼とした景色
荒々しい北の海見ながら暮らす人なんて
いないんじゃないの~って思ってたけど
なんでまた 今帰仁ね~って
そう?
今帰仁はいいとこだよ~
今日みたいに 北風ビュービュー寒くっても
自然いっぱい残ってるし 家のまわり人工物ほとんどないし
それって そんなところってどんどんなくなってるさ~
夏の間あんなにたくさんいた 小鳥たちもヤールーもずいぶん少なくなり
夜道でよく出会ったはたけネズミもカニも ここのところ見かけません
季節の移り変わりを感じます
こんなに寒い日が続くと
確かに
「あ~あ~早く夏が来ないかな~」って思うこともあるけど
そう思った瞬間 太陽が春のような暖かさをくれたり
食品ロッカーの中に こっそり隠れて生きているヤールーの赤ちゃんや
ぷくぷく太ったスズメやヒヨドリが 芝生の中の餌をついばむ姿や
潮が引きはじめ 目の前にイノーが現れはじめると
きまって餌を獲りにやって来るサシバのカップルにこころ温まったり
幼鳥も 今年は多く
庭の石の上や アダンの葉っぱの先にとまって 私を喜ばせてくれます
最後に つい最近あった面白い話をひとつ(笑)
「おねえさん どこのシマの人ね~」
「私?仲尾次だけど・・・・」
「仲尾次のどこね~」
「サーラ浜のちかく・・・・」
「あの海のそばの お家ね~」
「わかるの~」
「わかるさ~ あのあたりの浜はよ~昔は貝とか蛸とかいっぱいいたさ~」
「そうだね・・・・最近はみんな獲られて少なくなってしまったさ~」
「ところで ねえさん 兼次中学校 何年卒ね?私も兼次中学校だけど」
ギョッ 私のこと?
隣で いつものようにミチさんクスクス・・・・・
近くにいた 今帰仁の友だちもニヤニヤ
「エッ? 私 兼次中学校じゃないけど・・・・・」
「じゃぁ どこね?」
「内地だけど・・・・・」
「あい!はっさみよ~ あんた ナイチャーね?
私はまた ナキジンチュだとばっかり思っていたさ~」
こんなこと もう数えきれないくらい経験したけど
何回あっても 面白い。
こんな会話で始まって 私は何人の人と仲良くなっただろう・・・・・
人は 自分はどこから来たか
考えただけで夢が広がるよね~
ほんと 私はどこからきたんだろうって思う。
Posted by fumi at
01:38
│Comments(4)
2011年01月01日
いい正月でぇーびる
でーじ ひーさん おしょうがち やいびーんが
くとぅしも うた さんしんと うちなーぐちを
ちばてぃ やりたいやいびーん
ゆたしく うにげぇーさびら
明けましておめでとうございます
とっても寒いお正月ですが
今年もうた三線とうちなーぐちを
がんばってやりたいと思います
よろしくお願いいたします
夢をわすれず うちなーくちが うちなー愚痴にならないように 頑張りま~す
くとぅしも うた さんしんと うちなーぐちを
ちばてぃ やりたいやいびーん
ゆたしく うにげぇーさびら
明けましておめでとうございます
とっても寒いお正月ですが
今年もうた三線とうちなーぐちを
がんばってやりたいと思います
よろしくお願いいたします
夢をわすれず うちなーくちが うちなー愚痴にならないように 頑張りま~す
Posted by fumi at
00:00
│Comments(5)
2010年12月06日
近況報告 疲れました~
みなさんお元気ですか~
本土は寒いみたいですが 寒さに負けていませんか?
沖縄は今日もいいお天気で すごく暖かかった?暑かったです
気がつけばもう12月
冬だというのに 風さえなければ海にも入れるこの陽気
久しぶりの日記をアップしていますが
色々ありすぎて 何から書いたらいいのでしょう・・・
困ってしまいます
まずは4年ぶり関西のご報告から
覚悟はしていたいたけど かなりハードな2泊3日でした
舞台用の衣装その他の荷物+お土産で20キロをはるかに超えるバッグ
ひとり旅なんてしないから
いつもは荷物 ぜ~んぶ持ってもらってたから
リハーサル会場まで半泣きで
駅から7分の所を 15分くらいかけて歩きました
車社会の沖縄
これって ヤバイよね~
久しぶりに履いたブーツで踵にマメ
人がいっぱいの電車
ひとつだけ すごいこと発見
それはね・・・・
阪急とJR のお客さんの中で 私がダントツの色黒だったこと
ゴルフ帰りのおじさんの手より私のほうが黒いので
その時は思わず手をひっこめてしまったよ(笑)
やっぱり!って声 聞こえてきそうです
翌日のコンサートは 大成功
大入り満員で 当日券なし
遅れてこられた方はチケット払い戻しで帰っていただくほど
私も たくさんの懐かしい方たちとお会いでき
近況報告できて 楽しく充実した2日間でした
声をかけてくださった師匠と先生に 心から感謝!
遠くから 聴きに 観に来てくださったみなさま
突然飛び入りした私を
暖かく迎えてくださった吉永教室のみなさま
ありがとうございました!
11月29日『琉球新報』に載りました
帰りは那覇空港で
5歳の時から毎夏日本で一緒に過ごしてた姪っ子と待ち合わせ
彼女は10月に 博士号をとって卒業
就職の前に私たちにに会いに来てくれたのです
遠く離れているけど やさしい かわいい3人の姪っ子
今年は 三女→次女→長女と三人が順番に帰国
いい1年の締めくくりになりました
戻った翌日は休む暇なく ミチさん企画の映画「沖縄」のお手伝い
すごくいい映画だったけど
古い映画で もう上映されてないんだよね~
ひとりでもたくさんの人に是非見てほしい
みなさんの住んでいるところで 自主上映してほしい そんな映画です。
詳しくは ミチさんのブログで どうぞ!
http://michisan2.ti-da.net/d2010-11-03.html
http://michisan2.ti-da.net/d2010-11-24.html
そしてもう一つ
その週の土曜日は「子ども会祭り」出演
シマの子どもたちがどんどん少なくなって
今年は8人になってしまったけど
さすがに3年目になると自信つけちゃって
人数の少なさを感じさせない 堂々とした演奏でしたよ
これも 私がダウンしている間に
ミチさんが日記に動画つきでアップしてくれたので
見てくださいね。
http://michisan2.ti-da.net/e3257882.html
ねっ!すごいスケジュールででしょう・・・・・
ここ2週間は 5年ぶりに会った姪っ子と
いっぱいおしゃべりして
ついのせられて 海で2回もシュノーケリング
ユーモラスな「ハコフグ」です
暖かい沖縄とはいえ
さすがに冬の海は波が荒く 水も夏のようには澄んでいないけど
前の日記に書いたクマノミ(ニモ)が大きくなっていました
波が高くて 酔いそうな画像ですから 船酔いする人は
コチラをどうぞ
いつもの所にいたでっかいツノダシは どこかに転居?
近くのテーブルサンゴに 別のツノダシがいました
プカプカ浮かんでみる海の中
色とりどりの お魚たちが自由に泳いでいる姿を見ているだけで
いつも幸せな気分になります
そんなこんなの 2週間でしたので
今日は疲れて一日中ごろごろ・・・・
歳だな~
夕方 起きてみると
外で サシバの幼鳥が「ピックイ~➘ ピックイ~➘」
名前のわからない鳥が「ピ➚ッ ピ➘ッ ピ➚ーーッ」と鳴いています
これはもしかして サンコウチョウかも?
もうすぐ日没
ほんの瞬間も直視できない 強い太陽
だけど やがて 必ず来る 私の大好きな
何ともいえない茜色の世界を待ちながら
まぶしさに耐えている私
夏は海に落ちる太陽も これからは森の向こう
モクマオウの林が 真っ黒なシルエットになってきました
そろそろかな?って チラッと見ただけで眼がクラクラしています
といって よそ見をしていると一瞬のうちに落ちてしまう太陽
こうして書いているうちに
あっという間に 日没
あ~あ・・・・・
残念ながら今日の夕日は茜色ではなく ピンクグレーでした
毎日 この時間
西の空を見ながら 一喜一憂するのも私の日課のひとつです
お・し・ま・い
すっごく長い日記になってしまいました
最後まで読んでくださって ありがとうございます
本土は寒いみたいですが 寒さに負けていませんか?
沖縄は今日もいいお天気で すごく暖かかった?暑かったです
気がつけばもう12月
冬だというのに 風さえなければ海にも入れるこの陽気
久しぶりの日記をアップしていますが
色々ありすぎて 何から書いたらいいのでしょう・・・
困ってしまいます
まずは4年ぶり関西のご報告から
覚悟はしていたいたけど かなりハードな2泊3日でした
舞台用の衣装その他の荷物+お土産で20キロをはるかに超えるバッグ
ひとり旅なんてしないから
いつもは荷物 ぜ~んぶ持ってもらってたから
リハーサル会場まで半泣きで
駅から7分の所を 15分くらいかけて歩きました
車社会の沖縄
これって ヤバイよね~
久しぶりに履いたブーツで踵にマメ
人がいっぱいの電車
ひとつだけ すごいこと発見
それはね・・・・
阪急とJR のお客さんの中で 私がダントツの色黒だったこと
ゴルフ帰りのおじさんの手より私のほうが黒いので
その時は思わず手をひっこめてしまったよ(笑)
やっぱり!って声 聞こえてきそうです
翌日のコンサートは 大成功
大入り満員で 当日券なし
遅れてこられた方はチケット払い戻しで帰っていただくほど
私も たくさんの懐かしい方たちとお会いでき
近況報告できて 楽しく充実した2日間でした
声をかけてくださった師匠と先生に 心から感謝!
遠くから 聴きに 観に来てくださったみなさま
突然飛び入りした私を
暖かく迎えてくださった吉永教室のみなさま
ありがとうございました!
11月29日『琉球新報』に載りました
帰りは那覇空港で
5歳の時から毎夏日本で一緒に過ごしてた姪っ子と待ち合わせ
彼女は10月に 博士号をとって卒業
就職の前に私たちにに会いに来てくれたのです
遠く離れているけど やさしい かわいい3人の姪っ子
今年は 三女→次女→長女と三人が順番に帰国
いい1年の締めくくりになりました
戻った翌日は休む暇なく ミチさん企画の映画「沖縄」のお手伝い
すごくいい映画だったけど
古い映画で もう上映されてないんだよね~
ひとりでもたくさんの人に是非見てほしい
みなさんの住んでいるところで 自主上映してほしい そんな映画です。
詳しくは ミチさんのブログで どうぞ!
http://michisan2.ti-da.net/d2010-11-03.html
http://michisan2.ti-da.net/d2010-11-24.html
そしてもう一つ
その週の土曜日は「子ども会祭り」出演
シマの子どもたちがどんどん少なくなって
今年は8人になってしまったけど
さすがに3年目になると自信つけちゃって
人数の少なさを感じさせない 堂々とした演奏でしたよ
これも 私がダウンしている間に
ミチさんが日記に動画つきでアップしてくれたので
見てくださいね。
http://michisan2.ti-da.net/e3257882.html
ねっ!すごいスケジュールででしょう・・・・・
ここ2週間は 5年ぶりに会った姪っ子と
いっぱいおしゃべりして
ついのせられて 海で2回もシュノーケリング
ユーモラスな「ハコフグ」です
暖かい沖縄とはいえ
さすがに冬の海は波が荒く 水も夏のようには澄んでいないけど
前の日記に書いたクマノミ(ニモ)が大きくなっていました
波が高くて 酔いそうな画像ですから 船酔いする人は
コチラをどうぞ
いつもの所にいたでっかいツノダシは どこかに転居?
近くのテーブルサンゴに 別のツノダシがいました
プカプカ浮かんでみる海の中
色とりどりの お魚たちが自由に泳いでいる姿を見ているだけで
いつも幸せな気分になります
そんなこんなの 2週間でしたので
今日は疲れて一日中ごろごろ・・・・
歳だな~
夕方 起きてみると
外で サシバの幼鳥が「ピックイ~➘ ピックイ~➘」
名前のわからない鳥が「ピ➚ッ ピ➘ッ ピ➚ーーッ」と鳴いています
これはもしかして サンコウチョウかも?
もうすぐ日没
ほんの瞬間も直視できない 強い太陽
だけど やがて 必ず来る 私の大好きな
何ともいえない茜色の世界を待ちながら
まぶしさに耐えている私
夏は海に落ちる太陽も これからは森の向こう
モクマオウの林が 真っ黒なシルエットになってきました
そろそろかな?って チラッと見ただけで眼がクラクラしています
といって よそ見をしていると一瞬のうちに落ちてしまう太陽
こうして書いているうちに
あっという間に 日没
あ~あ・・・・・
残念ながら今日の夕日は茜色ではなく ピンクグレーでした
毎日 この時間
西の空を見ながら 一喜一憂するのも私の日課のひとつです
お・し・ま・い
すっごく長い日記になってしまいました
最後まで読んでくださって ありがとうございます
Posted by fumi at
01:15
│Comments(6)
2010年11月13日
吉永安正 琉球音楽研究所 発表会
~平和世ぬ願え 島唄に乗せて~
ご無沙汰しています。
ゆっくりとした時間の流れの中で
の~んびり暮らしているはずなのに
気がつけばもう11月も半ば
この時間の流れのはやいそのわけは?
そうなんです
こちらに来て 琉球古典音楽に とり憑かれてしまって
明けても暮れても 唄三線
嬉しいとき 悲しいとき 辛いとき
いつも私と一緒
体調不良で辛いときもあるけど
暗譜できなくて苦しいときもあるけど
習うことの喜び 唄えることのしあわせ 満喫しています。
10年前に 初めて聴いた 師匠の唄
私が 民謡から古典へとはまっていったのは この師匠のおかげ
そんな 大切な師匠ももう81歳
この21日には 大きな発表会をされます。
久しぶりに師匠の唄が聴ける~って嬉しくて お電話したら
宝塚教室 OBとして一緒にやりましょうって・・・・・
ということで 私も 幕開けに
師匠ご夫妻が舞われる 祝儀舞踊「かじゃでぃ風」の地謡として
それから 毛遊び「ナークニー・カイサレー」に
出演させていただくことになりました。
こちらでは 古典音楽しかやっていない私にとって
最後の「かんぶぅ」姿になるかも(笑)
4年ぶりの関西 師匠や教室の皆さんと一緒の舞台
とっても とっても楽しみにしています。
近くの方で 21日(日)
時間のある方は是非 師匠の舞台 観に 聴きに来てくださいね。
大好きな師匠と一緒! 嬉しそうな私の姿も見られるはずよ~
ご無沙汰しています。
ゆっくりとした時間の流れの中で
の~んびり暮らしているはずなのに
気がつけばもう11月も半ば
この時間の流れのはやいそのわけは?
そうなんです
こちらに来て 琉球古典音楽に とり憑かれてしまって
明けても暮れても 唄三線
嬉しいとき 悲しいとき 辛いとき
いつも私と一緒
体調不良で辛いときもあるけど
暗譜できなくて苦しいときもあるけど
習うことの喜び 唄えることのしあわせ 満喫しています。
10年前に 初めて聴いた 師匠の唄
私が 民謡から古典へとはまっていったのは この師匠のおかげ
そんな 大切な師匠ももう81歳
この21日には 大きな発表会をされます。
久しぶりに師匠の唄が聴ける~って嬉しくて お電話したら
宝塚教室 OBとして一緒にやりましょうって・・・・・
ということで 私も 幕開けに
師匠ご夫妻が舞われる 祝儀舞踊「かじゃでぃ風」の地謡として
それから 毛遊び「ナークニー・カイサレー」に
出演させていただくことになりました。
こちらでは 古典音楽しかやっていない私にとって
最後の「かんぶぅ」姿になるかも(笑)
4年ぶりの関西 師匠や教室の皆さんと一緒の舞台
とっても とっても楽しみにしています。
近くの方で 21日(日)
時間のある方は是非 師匠の舞台 観に 聴きに来てくださいね。
大好きな師匠と一緒! 嬉しそうな私の姿も見られるはずよ~
2010年10月09日
今日の新聞
朝晩はすっかり秋
お日様が沈むと ちょっぴり寒い今日この頃
遠くから冬の足音が聞こえます
昨夜から雨
今日は草抜き日和ということで
午後から2時間半 お墓の雑草を抜きました
家に戻って 新聞見てたら
久しぶりに 「うふっ・・・」
ひとり占めにするのはもったいないから
みなさんにおすそ分け
ちなみに この記事は今日の朝刊なんだけど
ポニーを保護したのは5月のこと
今 10月
5か月も前のことが どうして今日の朝刊?
またまた 「うふっ・・・」
今帰仁いいとこでしょ?
こんなおまわりさんがいるんだよ~
沖縄の新聞すごく面白いです
今日のは「沖縄タイムス」
まだまだ こんなこと あんなことがいっぱいの新聞
これからも時々紹介していこうと思います
みなさんの感想 お待ちしています
ちょっぴり面倒だけど カーソル動かして読んでくださいね~
お日様が沈むと ちょっぴり寒い今日この頃
遠くから冬の足音が聞こえます
昨夜から雨
今日は草抜き日和ということで
午後から2時間半 お墓の雑草を抜きました
家に戻って 新聞見てたら
久しぶりに 「うふっ・・・」
ひとり占めにするのはもったいないから
みなさんにおすそ分け
ちなみに この記事は今日の朝刊なんだけど
ポニーを保護したのは5月のこと
今 10月
5か月も前のことが どうして今日の朝刊?
またまた 「うふっ・・・」
今帰仁いいとこでしょ?
こんなおまわりさんがいるんだよ~
沖縄の新聞すごく面白いです
今日のは「沖縄タイムス」
まだまだ こんなこと あんなことがいっぱいの新聞
これからも時々紹介していこうと思います
みなさんの感想 お待ちしています
ちょっぴり面倒だけど カーソル動かして読んでくださいね~
Posted by fumi at
20:38
│Comments(6)
2010年09月30日
「夢」
やりたくてもできない
やる気がどんどん失せていく日々
満たされない心
人とヒトとのまんなかで どうすることもできず 心が痛い
そんな自分に ため息する日々
不器用な私
もうそろそろこんな自分から卒業したいなぁ~って思いはじめると必ず
次の大波 かぶっちゃうんだよね・・・・・
こっちに来て3回目の夏の終わり
はじめて大きな台風が来て
今年こそ!ってがんばってたブーゲンの花芽が全滅
葉っぱが吹き飛んで 茎だけの悲しい石垣
咲きかけてたミーフックヮーの蕾も全滅
折れてしまった枝にわずかに残った葉っぱ
青い空といつもと変わらない海をバックにさみしげに立ってた
こんな風景に いとおしさを感じるのはどうしてかしら・・・・・
大きな葉っぱの陰にピンクの花をいっぱいつけてたプルメリア
かわいい花はあっという間に風にとばされた
いつも
「葉っぱ もう少し小さかったらいいのに~
花が隠れて見えないさ~」ってつぶやいてたこと
ごめんなさい!
風や波の音
木や草や潮の香りに心ひかれ 庭に出ると
あった! あった!
太陽の光を受けて 葉っぱの上で輝く 雨粒
3年目にやっと花をつけた小花サンダンカ
もう駄目だと思っていたよ
折れた枝に再び咲いた沖縄夾竹桃
かわいい目をクルクルさせて留まってたメジロのカップル
あっという間にいなくなっちゃったけど こんな海の近くまで
我が家の庭にも来るんだってわかって すっごく幸せな気分
久しぶりに見た 畑の中のサシバ
仲良しのキジバト夫妻
夏の間渡ってきてたアジサシが去って
今は 3㎝くらいの産まれたてのヤールーが私のお友だち
小さくても一人前に餌をとってる姿に感動
赤ちゃんいっぱい誕生
みているだけで 心がなごみます
夜の我が家はお客様で満員御礼
よ~く考えてみたら
やりたいこと できることいっぱい
月2回の子どもたちとのアフリカン
週1回の 仲尾次3姉妹でのランチ
週2回の 3時間ぶっ続けの古典のお稽古
いつでもOKの ピアノ 写真
何よりも
この場所で この家で暮らせること
私って いい日を生きてるはず~
せめて 自分らしく 自分をちゃんと大切にしながら
「いつも前向き ときどき後ろ向き」 の人生にしなくっちゃ
大波は サーファーのようにスイスイ乗り越えて~(笑)
昔は 「夢」 ガンガン追いかけて生きてた
ここにきて 「夢」 失ったらだめだよね
そんな思いで ブログのトップの絵 大好きなアフリカバージョンにかえました
やる気がどんどん失せていく日々
満たされない心
人とヒトとのまんなかで どうすることもできず 心が痛い
そんな自分に ため息する日々
不器用な私
もうそろそろこんな自分から卒業したいなぁ~って思いはじめると必ず
次の大波 かぶっちゃうんだよね・・・・・
こっちに来て3回目の夏の終わり
はじめて大きな台風が来て
今年こそ!ってがんばってたブーゲンの花芽が全滅
葉っぱが吹き飛んで 茎だけの悲しい石垣
咲きかけてたミーフックヮーの蕾も全滅
折れてしまった枝にわずかに残った葉っぱ
青い空といつもと変わらない海をバックにさみしげに立ってた
こんな風景に いとおしさを感じるのはどうしてかしら・・・・・
大きな葉っぱの陰にピンクの花をいっぱいつけてたプルメリア
かわいい花はあっという間に風にとばされた
いつも
「葉っぱ もう少し小さかったらいいのに~
花が隠れて見えないさ~」ってつぶやいてたこと
ごめんなさい!
風や波の音
木や草や潮の香りに心ひかれ 庭に出ると
あった! あった!
太陽の光を受けて 葉っぱの上で輝く 雨粒
3年目にやっと花をつけた小花サンダンカ
もう駄目だと思っていたよ
折れた枝に再び咲いた沖縄夾竹桃
かわいい目をクルクルさせて留まってたメジロのカップル
あっという間にいなくなっちゃったけど こんな海の近くまで
我が家の庭にも来るんだってわかって すっごく幸せな気分
久しぶりに見た 畑の中のサシバ
仲良しのキジバト夫妻
夏の間渡ってきてたアジサシが去って
今は 3㎝くらいの産まれたてのヤールーが私のお友だち
小さくても一人前に餌をとってる姿に感動
赤ちゃんいっぱい誕生
みているだけで 心がなごみます
夜の我が家はお客様で満員御礼
よ~く考えてみたら
やりたいこと できることいっぱい
月2回の子どもたちとのアフリカン
週1回の 仲尾次3姉妹でのランチ
週2回の 3時間ぶっ続けの古典のお稽古
いつでもOKの ピアノ 写真
何よりも
この場所で この家で暮らせること
私って いい日を生きてるはず~
せめて 自分らしく 自分をちゃんと大切にしながら
「いつも前向き ときどき後ろ向き」 の人生にしなくっちゃ
大波は サーファーのようにスイスイ乗り越えて~(笑)
昔は 「夢」 ガンガン追いかけて生きてた
ここにきて 「夢」 失ったらだめだよね
そんな思いで ブログのトップの絵 大好きなアフリカバージョンにかえました
Posted by fumi at
17:57
│Comments(14)
2010年08月25日
私がここを選んだわけ
ハイタイ!
ただいま沖縄は旧盆
夏休みも今日で終わり 明日から学校です。
子どもたちはもう宿題終わったかな?
沖縄には独特の行事がたくさんあるのですが
その中でも大きな行事がお盆です。
今年は旧暦の7月13日が日曜日 お盆初日ウンケー(お迎え)でした。
先祖をお迎えするためにウンケージューシー(炊き込み御飯)を食べ
夕方にはグソー(あの世)からご先祖さまが戻っていらっしゃるので
それをお迎えするんですよ。
おばぁが「今年もよくいらっしゃいました。どうぞごゆっくりしていって下さい」なんて
ウチナーグチでしゃべって 家のとーとーめー(仏壇)に招き入れます。
昨日 旧暦7月14日は ナカヌヒー (なかび)といって
皆さんお中元を持ち、親戚を回って歩きます。
とーとーめー(仏壇)のある家は家庭はナカヌヒー意外は動けないので
この日に親戚まわりをするんだそうです。
本土からも 兄弟姉妹や親戚の人たちが戻ってくるので たいへんにぎやかです。
そして今日は 旧暦7月15日 ウークイ (お送り)です。
お盆の中で一番大切な 先祖をあの世にお送りする日です。
ご先祖様に「どうぞまた来年もきてくださいね~」と言って 線香をあげ
うちかび(あの世のお金)を焚いて見送るんですね。
その儀式が終わると あちこちでにぎやかなエイサーが始まります。
エイサーはご先祖様の霊が迷わず グソーに帰れるように踊るのです。
今日は満月 今は残念ながら雲っていて月は見えないけれど
沖縄中のそこここでエイサーが踊られているんですよ。
我がシマは明日もエイサーを踊ります。
もしかして迷ってしまった祖先の霊がいるかもしれないので 明日も踊るんだそうです。
子どもたちもアフリカ太鼓で参加。
迷って帰れなかった霊のためにだなんて
やっぱりウチナンチュはやさし~い!って思いますよね。
ちなみに 我がシマのエイサーは
皆さんのよくみられるエイサーとは違う 手踊りのエイサーなんですけど
パソコンが壊れてしまっているので写真がアップできないのが残念です。
さてさて
ふと気がついたら 7月・8月と日記のアップなし
最近 日記書いてないけど元気にしてるの?って心配して電話もらったり
一昨日 こんなメールいただいたので お返事しなくっちゃって(笑)
「前から聞きたかった事があったのですが。。。
お二人が移住先に選んだ「沖縄」
そもそも何故沖縄を移住先に、そして永住先に選んだのですか?
昔からミチさんは沖縄に渡っていたとも聞いていますし
フミさんも音楽や文化のことで関わりもあったかと思いますが。
何故でしょう」
U-と君からの こんなメールが届いた日
デスクトップパソコンがまたまた立ち上がらなくなってしまいました。
今 10年以上前のノートパソコン使って 日記アップしています。
お返事遅くなりました。
言われて見れば そう・・・・・
移住とか 永住とか そんなふうに考えたことなかったし
今も移住したとか 永住したとかいう感覚 ないんだよね~
ただ 20代の頃から ミチさんとふたりでいろんな国を回っているうちに
神戸も宝塚もいいけれど
最後は自分たちの小さい頃の原風景が残っている場所でで暮らしたいなぁ~って
候補は インドネシア・カンボジア・アフリカの田舎などなど いろいろあったよ。
現実的な話があったのはインドネシアだったから もしかしたらそこかもって
かなり具体的に思っていました。
だけど 日本に国籍をおいている以上は 日本の住所も必要だから
それは沖縄にしようと 私は数十年前から決めていました。
なぜって 私にとって 沖縄の色や風や匂い
何よりも このシマの人たちの中でいるのが一番居心地がよかったから
私が私らしく生きられるって 感じていたから。
もちろん 初めっから こんなお家を建てる計画はありませんでしたけど・・・・。
ある日 父が倒れ 母がひとりではどうにもならないってことになって
考えてみたら 妹はフランス暮らし
私たちが両親をみるしかない=日本を離れられない ってことに気づいた。
父の過ごした田舎 私が子どもの頃過ごしたおばあちゃん家
田んぼや畑 牛や馬や豚のいる風景
アルツハイマーで どんどん昔に逆戻りしていく父が
少しでも穏やかな暮らしができるところ
そんなところに家を建てようって 土地探ししてて 今帰仁にたどり着いたとき
懐かしい人たち この景色 この匂い!
ここだ~って
おまけに 父と私の大好きな真っ青な海!
ここしかないですよね~
ミチさんは 沖縄返還の1年前に沖縄(西表島)で2ヶ月暮らしていましたし
私たち家族も25年くらい前から 夏になると1週間くらい沖縄に来ていましたから
気がついたら 友人やら 親戚のような家族やらが そこここに(笑)
2007年8月24日
神戸空港からみんなに見送られ沖縄に到着
ここへ引越しして 今日でちょうど3年になりました。
今日は旧盆の15日 ご先祖様を無事お送り(ウークイ)して
エイサーの太鼓や地方の唄う声がにぎやかに聞こえています。
私は なぜか子どもの頃をなつかしく思い出し その頃の思い出と
気候も 食べ物も 文化も違う今の暮らしとが重なるのが 何とも不思議です。
こちらの人たちが 私に
「あんたは 呼ばれてここに来たんだよ~」っていうけれど
私も今は 心からそう思えるようになってます。
少しも さみしいと思ったことなんてないんです。
たぶん 私はここに住むって決まっていたはず。
遠くに引っ越したって感覚もないし
だから Uーと君 私がここを選んだ理由なんて 最初からなかったのかもね・・・・・
ここにたどり着くまでのことは 以前日記に書いたことがあります。
読んでみて下さい。
http://fumi.ti-da.net/e2277897.html
ただいま沖縄は旧盆
夏休みも今日で終わり 明日から学校です。
子どもたちはもう宿題終わったかな?
沖縄には独特の行事がたくさんあるのですが
その中でも大きな行事がお盆です。
今年は旧暦の7月13日が日曜日 お盆初日ウンケー(お迎え)でした。
先祖をお迎えするためにウンケージューシー(炊き込み御飯)を食べ
夕方にはグソー(あの世)からご先祖さまが戻っていらっしゃるので
それをお迎えするんですよ。
おばぁが「今年もよくいらっしゃいました。どうぞごゆっくりしていって下さい」なんて
ウチナーグチでしゃべって 家のとーとーめー(仏壇)に招き入れます。
昨日 旧暦7月14日は ナカヌヒー (なかび)といって
皆さんお中元を持ち、親戚を回って歩きます。
とーとーめー(仏壇)のある家は家庭はナカヌヒー意外は動けないので
この日に親戚まわりをするんだそうです。
本土からも 兄弟姉妹や親戚の人たちが戻ってくるので たいへんにぎやかです。
そして今日は 旧暦7月15日 ウークイ (お送り)です。
お盆の中で一番大切な 先祖をあの世にお送りする日です。
ご先祖様に「どうぞまた来年もきてくださいね~」と言って 線香をあげ
うちかび(あの世のお金)を焚いて見送るんですね。
その儀式が終わると あちこちでにぎやかなエイサーが始まります。
エイサーはご先祖様の霊が迷わず グソーに帰れるように踊るのです。
今日は満月 今は残念ながら雲っていて月は見えないけれど
沖縄中のそこここでエイサーが踊られているんですよ。
我がシマは明日もエイサーを踊ります。
もしかして迷ってしまった祖先の霊がいるかもしれないので 明日も踊るんだそうです。
子どもたちもアフリカ太鼓で参加。
迷って帰れなかった霊のためにだなんて
やっぱりウチナンチュはやさし~い!って思いますよね。
ちなみに 我がシマのエイサーは
皆さんのよくみられるエイサーとは違う 手踊りのエイサーなんですけど
パソコンが壊れてしまっているので写真がアップできないのが残念です。
さてさて
ふと気がついたら 7月・8月と日記のアップなし
最近 日記書いてないけど元気にしてるの?って心配して電話もらったり
一昨日 こんなメールいただいたので お返事しなくっちゃって(笑)
「前から聞きたかった事があったのですが。。。
お二人が移住先に選んだ「沖縄」
そもそも何故沖縄を移住先に、そして永住先に選んだのですか?
昔からミチさんは沖縄に渡っていたとも聞いていますし
フミさんも音楽や文化のことで関わりもあったかと思いますが。
何故でしょう」
U-と君からの こんなメールが届いた日
デスクトップパソコンがまたまた立ち上がらなくなってしまいました。
今 10年以上前のノートパソコン使って 日記アップしています。
お返事遅くなりました。
言われて見れば そう・・・・・
移住とか 永住とか そんなふうに考えたことなかったし
今も移住したとか 永住したとかいう感覚 ないんだよね~
ただ 20代の頃から ミチさんとふたりでいろんな国を回っているうちに
神戸も宝塚もいいけれど
最後は自分たちの小さい頃の原風景が残っている場所でで暮らしたいなぁ~って
候補は インドネシア・カンボジア・アフリカの田舎などなど いろいろあったよ。
現実的な話があったのはインドネシアだったから もしかしたらそこかもって
かなり具体的に思っていました。
だけど 日本に国籍をおいている以上は 日本の住所も必要だから
それは沖縄にしようと 私は数十年前から決めていました。
なぜって 私にとって 沖縄の色や風や匂い
何よりも このシマの人たちの中でいるのが一番居心地がよかったから
私が私らしく生きられるって 感じていたから。
もちろん 初めっから こんなお家を建てる計画はありませんでしたけど・・・・。
ある日 父が倒れ 母がひとりではどうにもならないってことになって
考えてみたら 妹はフランス暮らし
私たちが両親をみるしかない=日本を離れられない ってことに気づいた。
父の過ごした田舎 私が子どもの頃過ごしたおばあちゃん家
田んぼや畑 牛や馬や豚のいる風景
アルツハイマーで どんどん昔に逆戻りしていく父が
少しでも穏やかな暮らしができるところ
そんなところに家を建てようって 土地探ししてて 今帰仁にたどり着いたとき
懐かしい人たち この景色 この匂い!
ここだ~って
おまけに 父と私の大好きな真っ青な海!
ここしかないですよね~
ミチさんは 沖縄返還の1年前に沖縄(西表島)で2ヶ月暮らしていましたし
私たち家族も25年くらい前から 夏になると1週間くらい沖縄に来ていましたから
気がついたら 友人やら 親戚のような家族やらが そこここに(笑)
2007年8月24日
神戸空港からみんなに見送られ沖縄に到着
ここへ引越しして 今日でちょうど3年になりました。
今日は旧盆の15日 ご先祖様を無事お送り(ウークイ)して
エイサーの太鼓や地方の唄う声がにぎやかに聞こえています。
私は なぜか子どもの頃をなつかしく思い出し その頃の思い出と
気候も 食べ物も 文化も違う今の暮らしとが重なるのが 何とも不思議です。
こちらの人たちが 私に
「あんたは 呼ばれてここに来たんだよ~」っていうけれど
私も今は 心からそう思えるようになってます。
少しも さみしいと思ったことなんてないんです。
たぶん 私はここに住むって決まっていたはず。
遠くに引っ越したって感覚もないし
だから Uーと君 私がここを選んだ理由なんて 最初からなかったのかもね・・・・・
ここにたどり着くまでのことは 以前日記に書いたことがあります。
読んでみて下さい。
http://fumi.ti-da.net/e2277897.html
Posted by fumi at
01:35
│Comments(2)
2010年06月29日
ふしぎな一日
「海」
引っ越してはじめて 我が家の目の前の海の中に潜った
やっと そんな気分になれた わたし
お昼前 太陽の光が真上から差し込み 澄み切った海の中 生き物たちの世界
すごい!
色とりどりの魚 たくさんのサンゴが育ってる!
カメラなかったのが 残念・・・・
「虹」
夕方 生まれて初めてこんな虹を見た
それも 二重で
30分?
もっと長い時間・・・・・
クレヨンで描いたような色
まるで絵本の世界
釘付けになってしまった わたし
虹の中を 船が通り過ぎる
夢のような ひととき
「夕日」
ずいぶん久しぶりだなぁ~ こんな夕日
落ちた! やっと海に落ちた!
こころが 真っ赤になった わたし
「映画」
第2次世界大戦下のドイツ
ユダヤ人強制収容所の指揮官の息子と
有刺鉄線で囲まれた中にいる強制収容所の中にいる縞模様のパシャマを着た少年
ユダヤ人とドイツ人 同じ年のふたりの少年が心を通わせていく。
繰り返してはいけない悲劇
私は今までも ホロコーストを描いた映画を何本も観てきたけれど 描き方がとっても新鮮
人が大切にしなくてはいけない何かを 教えてくれる映画
『縦縞模様のパジャマの少年』
最後は 悲しいけれど
なぜか あたたか~いもので胸がいっぱいの わたし
引っ越してはじめて 我が家の目の前の海の中に潜った
やっと そんな気分になれた わたし
お昼前 太陽の光が真上から差し込み 澄み切った海の中 生き物たちの世界
すごい!
色とりどりの魚 たくさんのサンゴが育ってる!
カメラなかったのが 残念・・・・
「虹」
夕方 生まれて初めてこんな虹を見た
それも 二重で
30分?
もっと長い時間・・・・・
クレヨンで描いたような色
まるで絵本の世界
釘付けになってしまった わたし
虹の中を 船が通り過ぎる
夢のような ひととき
「夕日」
ずいぶん久しぶりだなぁ~ こんな夕日
落ちた! やっと海に落ちた!
こころが 真っ赤になった わたし
「映画」
第2次世界大戦下のドイツ
ユダヤ人強制収容所の指揮官の息子と
有刺鉄線で囲まれた中にいる強制収容所の中にいる縞模様のパシャマを着た少年
ユダヤ人とドイツ人 同じ年のふたりの少年が心を通わせていく。
繰り返してはいけない悲劇
私は今までも ホロコーストを描いた映画を何本も観てきたけれど 描き方がとっても新鮮
人が大切にしなくてはいけない何かを 教えてくれる映画
『縦縞模様のパジャマの少年』
最後は 悲しいけれど
なぜか あたたか~いもので胸がいっぱいの わたし
Posted by fumi at
01:27
│Comments(4)
2010年06月20日
お届けしたくて
雲を押しのけるように 朝日が昇る
雲の切れ間から 青空がのぞく
そして
厚い雲のむこうにに夕日が沈む
あかね雲
一日の終わり
久しぶりにカメラを持ったまま ロフトでぼんやり夕日を眺めてたら
すごい数の「タイワンシロガシラ」の群れがあっちに行ったりこっちに来たり
どうしたの?
また 何かが起こるってこと?
薄暗くなってて ちゃんと写真には撮れなかったけど
こんないっぱいどこにいたのかしら?ってびっくり
そうしたら翌日 梅雨明け宣言
やっぱりね~
19日の海と空
こわいくらい 美しいブルーに 肌を刺す太陽の光
その紺碧の海面が 盛り上がり 海面が押されるように強風になびく
いつもとちがう波の音
不思議な世界
今 厳しい環境の中で生きることを強要されている わたしたち
だけど ここにはまだ こんなに美しい自然が残されている
人が守るべきものは これ
ともすれば忘れかける これ
久々に思い出したよ
「よく生きるということ」
いよいよ「アジサシ」の季節
今年は アジサシがたくさん渡ってきてるはず
青い海の上を 群れで飛ぶ姿が好き!
まだ一種類しか確認できてないけど
いい写真が撮れたら アップしましょうね~
雲の切れ間から 青空がのぞく
そして
厚い雲のむこうにに夕日が沈む
あかね雲
一日の終わり
久しぶりにカメラを持ったまま ロフトでぼんやり夕日を眺めてたら
すごい数の「タイワンシロガシラ」の群れがあっちに行ったりこっちに来たり
どうしたの?
また 何かが起こるってこと?
薄暗くなってて ちゃんと写真には撮れなかったけど
こんないっぱいどこにいたのかしら?ってびっくり
そうしたら翌日 梅雨明け宣言
やっぱりね~
19日の海と空
こわいくらい 美しいブルーに 肌を刺す太陽の光
その紺碧の海面が 盛り上がり 海面が押されるように強風になびく
いつもとちがう波の音
不思議な世界
今 厳しい環境の中で生きることを強要されている わたしたち
だけど ここにはまだ こんなに美しい自然が残されている
人が守るべきものは これ
ともすれば忘れかける これ
久々に思い出したよ
「よく生きるということ」
いよいよ「アジサシ」の季節
今年は アジサシがたくさん渡ってきてるはず
青い海の上を 群れで飛ぶ姿が好き!
まだ一種類しか確認できてないけど
いい写真が撮れたら アップしましょうね~
Posted by fumi at
18:00
│Comments(4)
2010年06月15日
ちょっとうれしい ふたつのこと
この花 何だかわかります?
そう 月下美人。
夜に花が咲き 一晩だけで朝にはしぼんでしまう はかない花。
花はと~っても大きく まっ白で名前通りに美しい花です。
この間 三線の定期演奏会の夜 他の研究所の師匠が
「今夜咲くはずよ~」ともってきてくださいました。
夕方になると蕾が膨らみ始め 真っ暗になるにつれ
少しずつ花が開くのですが
香りが強く 匂いで花が咲きはじめたのがわかるとか
開く時に耳を澄ますと 花びらがこすりりあう音が聞こえるとか・・・・・
残念ながら私たちは三線の演奏に夢中で
気がついた時にはもうすっかり開いていました。
いただいて お家に持って帰ったのですが眠るまで
お部屋じゅう すっごくいい香りにつつまれて しあわせでした。
萎れた花はさっとゆでて
きざみ三杯酢とお醤油で食べると美味しいって・・・・
こんどためしてみましょうね~
今日は大雨
こんなお天気なのに うるさいほどお喋りなツバメが飛びまわってる。
だけど 何だかいつもと様子が違う・・・・・
ツバメらしくなく やたら羽をバタバタし 低空飛行
車庫の中の巣と庭を 行ったり来たり
ん???
巣の中に ツバメの親子
とっても不思議
この3年ずっと見てるんだけど いつ雛が孵ったのかが 全くわからないのよね。
ピーピー鳴く 産まれたての雛も 餌を運ぶ親鳥の姿も 見たことない。
気がつくと いつもこれくらいの大きさになって
車庫から庭中を飛び回ってるんだよね~
ほんと 不思議
思わず 我が家に作られてる巣は ツバメたちの別荘?って呟いちゃった私。
午後から 強い風と雨
そんな中 どこからか親子で戻ってきたツバメ
2羽の子ツバメを残し
雨の中 何度も何度も 飛び出しては戻る親鳥の動きが気になって しばらく見ていると
初めてだ~!
餌を運ぶ親鳥の姿
ヤッタ~!
撮れたよ~!
そう 月下美人。
夜に花が咲き 一晩だけで朝にはしぼんでしまう はかない花。
花はと~っても大きく まっ白で名前通りに美しい花です。
この間 三線の定期演奏会の夜 他の研究所の師匠が
「今夜咲くはずよ~」ともってきてくださいました。
夕方になると蕾が膨らみ始め 真っ暗になるにつれ
少しずつ花が開くのですが
香りが強く 匂いで花が咲きはじめたのがわかるとか
開く時に耳を澄ますと 花びらがこすりりあう音が聞こえるとか・・・・・
残念ながら私たちは三線の演奏に夢中で
気がついた時にはもうすっかり開いていました。
いただいて お家に持って帰ったのですが眠るまで
お部屋じゅう すっごくいい香りにつつまれて しあわせでした。
萎れた花はさっとゆでて
きざみ三杯酢とお醤油で食べると美味しいって・・・・
こんどためしてみましょうね~
今日は大雨
こんなお天気なのに うるさいほどお喋りなツバメが飛びまわってる。
だけど 何だかいつもと様子が違う・・・・・
ツバメらしくなく やたら羽をバタバタし 低空飛行
車庫の中の巣と庭を 行ったり来たり
ん???
巣の中に ツバメの親子
とっても不思議
この3年ずっと見てるんだけど いつ雛が孵ったのかが 全くわからないのよね。
ピーピー鳴く 産まれたての雛も 餌を運ぶ親鳥の姿も 見たことない。
気がつくと いつもこれくらいの大きさになって
車庫から庭中を飛び回ってるんだよね~
ほんと 不思議
思わず 我が家に作られてる巣は ツバメたちの別荘?って呟いちゃった私。
午後から 強い風と雨
そんな中 どこからか親子で戻ってきたツバメ
2羽の子ツバメを残し
雨の中 何度も何度も 飛び出しては戻る親鳥の動きが気になって しばらく見ていると
初めてだ~!
餌を運ぶ親鳥の姿
ヤッタ~!
撮れたよ~!
Posted by fumi at
17:45
│Comments(4)
2010年05月30日
85歳 母はすっかりウチナーおばぁ
翻弄されて14年
祈るようなおもいで見守ってきた5月末の決着。
なのに 「できるだけ国外に 最低でも県外へ」の言葉は軽々と覆されました。
28日金曜日 大雨の中
辺野古への基地移設声明を受け
名護と那覇で同時刻に合意に反対する集会が行われました。
集会参加者
那覇 1500人
5月29日沖縄タイムス
名護1200人
5月29日沖縄タイムス
参加できない人たちは
番組変更 実況中継するTVを見つめました。
雨は 神々の怒り 人々の悲しい涙
最近は 母もしっかりウチナーおばぁ?
毎日海を見ながら
「このきれいな海を守らんとね~こんなきれいな海はもうどこにもないよ・・・・」
TVや新聞を見ながら
「辺野古に基地はいらない!軍隊はいらないアメリカに帰ればいい!」と言ってます。
夫が軍人だった母。
日本の国を守るために 軍隊は必要といっていた母。
自分の目で確かめ 感じ 考えることができれば 人のこころはいくつになっても変わるのです。
沖縄はこれまで 何度も世替わりをしてきました。
琉球王国⇒薩摩の世(薩摩藩による琉球侵略1609年)
⇒沖縄県(1879年)⇒アメリカ統治時代(1945年)
⇒日本復帰(1972年)~現在
戦後65年もたつのに まだ軍隊のいる島
戦闘機がタッチ・アンド・ゴー(離着陸)する島のまま・・・・
こんなことを考えていたら 故嘉手苅林昌さんが広めた こんな島唄があったなぁ~と
唐の世から大和の世 大和の世からアメリカ世 ひるまさ変わたる くぬ沖縄
唐(中国)の時代から大和の時代 大和の時代からアメリカ統治の時代
アメリカ統治の時代からまた大和の時代と歴史の変遷を見てきたのが沖縄です。
72年に本土復帰してからも 本土の経済競争に巻き込まれ
右往左往している沖縄人の心を表現し
こんなにどうして沖縄は変わるのだろうと悲しい心情を唄っています。
なんだか 身にしみますよね・・・・
5月28日(金) 沖縄屈辱の日
5月29日琉球新報
それは わたしの59歳のお誕生日でした。
祈るようなおもいで見守ってきた5月末の決着。
なのに 「できるだけ国外に 最低でも県外へ」の言葉は軽々と覆されました。
28日金曜日 大雨の中
辺野古への基地移設声明を受け
名護と那覇で同時刻に合意に反対する集会が行われました。
集会参加者
那覇 1500人
5月29日沖縄タイムス
名護1200人
5月29日沖縄タイムス
参加できない人たちは
番組変更 実況中継するTVを見つめました。
雨は 神々の怒り 人々の悲しい涙
最近は 母もしっかりウチナーおばぁ?
毎日海を見ながら
「このきれいな海を守らんとね~こんなきれいな海はもうどこにもないよ・・・・」
TVや新聞を見ながら
「辺野古に基地はいらない!軍隊はいらないアメリカに帰ればいい!」と言ってます。
夫が軍人だった母。
日本の国を守るために 軍隊は必要といっていた母。
自分の目で確かめ 感じ 考えることができれば 人のこころはいくつになっても変わるのです。
沖縄はこれまで 何度も世替わりをしてきました。
琉球王国⇒薩摩の世(薩摩藩による琉球侵略1609年)
⇒沖縄県(1879年)⇒アメリカ統治時代(1945年)
⇒日本復帰(1972年)~現在
戦後65年もたつのに まだ軍隊のいる島
戦闘機がタッチ・アンド・ゴー(離着陸)する島のまま・・・・
こんなことを考えていたら 故嘉手苅林昌さんが広めた こんな島唄があったなぁ~と
唐の世から大和の世 大和の世からアメリカ世 ひるまさ変わたる くぬ沖縄
唐(中国)の時代から大和の時代 大和の時代からアメリカ統治の時代
アメリカ統治の時代からまた大和の時代と歴史の変遷を見てきたのが沖縄です。
72年に本土復帰してからも 本土の経済競争に巻き込まれ
右往左往している沖縄人の心を表現し
こんなにどうして沖縄は変わるのだろうと悲しい心情を唄っています。
なんだか 身にしみますよね・・・・
5月28日(金) 沖縄屈辱の日
5月29日琉球新報
それは わたしの59歳のお誕生日でした。
Posted by fumi at
14:13
│Comments(1)
2010年05月22日
どうしたら
5月19日
「久米島沖にサンゴ大群集 ミドリイシ属 深場で国内最大規模」の嬉しい記事
推進15~35メートル
北東から南西方向に長さ300メートル 幅200メートル
場所は
12日・17日に続き18日 クラスター弾を装着したFA18ホーネット戦闘攻撃機が4機
嘉手納基地を飛び立って 帰還したときには装着しておらず
鳥島射爆撃場(久米島町)に投下した可能性があると言われている久米島沖。
素直に 嬉しかった そしてこの海を残したい!守らねばと思った。
その翌日の新聞の一面
「辺野古変更アセス内埋め立て軸に調整 首相容認」
こころの片隅で予想していたことだけど
一生懸命 打ち消してきたことだけど
言葉がでなくて 日記も書けなくて
この数日 美しい海を眺めながら ただただ無気力に ぼんやり過ごしてる。
どうしたら 遠く離れたみんなにわかってもらえるの?
今度 新しい基地が造られたら また数十年
今までずっと 我慢してきたのに
どうして これから後もまた 沖縄なの?
我が家の上空を 大きな音を立てて低空飛行する米空軍を見上げながら
どうすることもできないと思うと悲しい。
頻繁に起こる米兵による事件・事故のニュースを見るたびに ここは本当に日本なのかと。
陸上だけでなく この海もこの空も米軍のもの 自由に日本の飛行機が飛べないなんて
知ってた?
どうしたら 遠く離れたみんなにわかってもらえるの?
10年ぶりに 思いがけないメッセージが届いた。
小学生だった君はもう21歳になってるんだね。
懐かしいなぁ・・・・・
それから数日後 彼が綴った日記の一部 抜粋です。
沖縄の米軍基地
私は沖縄など行った事もなく 風景など、雑誌や映画の中でしか見た事がない。
だけど私達は 遠かれ、近かれ
日本人として 解りあわなければならない事があると思います。
ただリアルに綴られたブログ(これ私のブログ)には
胸が苦しくなるような、また逆に応援したくなるような そんな写真や文字が並んでいます。
私も何か力になりたいと この様な日記を幾度か、綴り続けようかと思います。
楽しかったあのころの情景
かわいいみんなの顔が 走馬灯のように私の頭の中をぐるぐると廻ってます。
そして今 あたたか~いものが 私のこころの中をいっぱいにしています。
ありがとうね~ K君!
「久米島沖にサンゴ大群集 ミドリイシ属 深場で国内最大規模」の嬉しい記事
推進15~35メートル
北東から南西方向に長さ300メートル 幅200メートル
場所は
12日・17日に続き18日 クラスター弾を装着したFA18ホーネット戦闘攻撃機が4機
嘉手納基地を飛び立って 帰還したときには装着しておらず
鳥島射爆撃場(久米島町)に投下した可能性があると言われている久米島沖。
素直に 嬉しかった そしてこの海を残したい!守らねばと思った。
その翌日の新聞の一面
「辺野古変更アセス内埋め立て軸に調整 首相容認」
こころの片隅で予想していたことだけど
一生懸命 打ち消してきたことだけど
言葉がでなくて 日記も書けなくて
この数日 美しい海を眺めながら ただただ無気力に ぼんやり過ごしてる。
どうしたら 遠く離れたみんなにわかってもらえるの?
今度 新しい基地が造られたら また数十年
今までずっと 我慢してきたのに
どうして これから後もまた 沖縄なの?
我が家の上空を 大きな音を立てて低空飛行する米空軍を見上げながら
どうすることもできないと思うと悲しい。
頻繁に起こる米兵による事件・事故のニュースを見るたびに ここは本当に日本なのかと。
陸上だけでなく この海もこの空も米軍のもの 自由に日本の飛行機が飛べないなんて
知ってた?
どうしたら 遠く離れたみんなにわかってもらえるの?
10年ぶりに 思いがけないメッセージが届いた。
小学生だった君はもう21歳になってるんだね。
懐かしいなぁ・・・・・
それから数日後 彼が綴った日記の一部 抜粋です。
沖縄の米軍基地
私は沖縄など行った事もなく 風景など、雑誌や映画の中でしか見た事がない。
だけど私達は 遠かれ、近かれ
日本人として 解りあわなければならない事があると思います。
ただリアルに綴られたブログ(これ私のブログ)には
胸が苦しくなるような、また逆に応援したくなるような そんな写真や文字が並んでいます。
私も何か力になりたいと この様な日記を幾度か、綴り続けようかと思います。
楽しかったあのころの情景
かわいいみんなの顔が 走馬灯のように私の頭の中をぐるぐると廻ってます。
そして今 あたたか~いものが 私のこころの中をいっぱいにしています。
ありがとうね~ K君!
Posted by fumi at
21:33
│Comments(4)
2010年05月18日
2010年5月16日
5月16日
冷たい横からの雨がたたきつける中
普天間飛行場のフェンス沿いに約1万7千人の人
若者や親子連れ、高齢者らが続々と詰め掛けた。
参加者はフェンスに向いたり フェンスに背を向けたり
3回にわたり しっかりと手と手をつなぎ 高く頭上に掲げ
日米両政府に強いメッセージを送った。
今度こそ!の思いを込めて・・・・
今日 こんな記事を見つけたので アップしましょうね。
みなさんの地域ではどのような扱いで
みなさんの反応はどんなだったのでしょうか・・・・・
『普天間包囲 全国紙の扱いに濃淡 』
沖縄タイムス 2010年5月18日 09時37分 より
【東京】米軍普天間飛行場の無条件返還を求める「普天間基地包囲行動」を報じた東京発行の全国各紙の17日付朝刊は、朝日、毎日の2紙が1面、読売は第2社会面で伝えた。
各紙がそろってトップ級で掲載した4月25日の県民大会や4日の鳩山由紀夫首相の初来県に比べ、各紙の扱いは分かれた。
【朝日】は1面に「普天間 雨中の鎖」の見出し。
「基地を取り囲む約13キロの輪を完成させた」との記事を写真とともに掲載した。
社会面では、普天間問題で「直接国民の生活に影響しない」と発言した党幹部に抗議した民主の女性市議らの訴えを伝えた。
【毎日】は1面の中央に掲載。
政府が県内移設を軸にして米国と交渉していることに「この日も改めて『県内移設ノー』の意思を『人間の鎖』で鮮明に発信した」とした。
社会面では参加者の声を紹介した。
【読売】は第2社会面にあたる30面で「県内移設反対訴え 『普天間』に人間の鎖」との見出しで、
2段写真とともに10行の記事を掲載した。
【日本経済新聞】は「人間の鎖 普天間包囲」の記事を社会面に掲載。
サブ見出しは「雨の中、1万7000人『基地返せ』」とし
「イエローカード」を意味する黄色い布や風船を身につけた参加者らの様子や怒りの声を報じた。
そのほか
【産経】は写真なしの報道。
【東京新聞】は1面トップで「県内移設拒否『沖縄の意思』」と横見出しをつけた。
社会面にも写真入りで参加者らの声を載せた。
『海外通信社も配信』
【米国のAP通信(AP)】や【フランスのAFP通信(AFP)】は16日、普天間包囲行動を配信した。
【AP】は「1万7千人の住民が米軍基地を囲む 平和的な抗議」という見出しで配信。「
雨具姿の参加者たちはフェンス沿いでつないだ手を挙げ
『県内移設反対!』と抗議した」と当日の様子を写真付きで紹介した。
同通信の記事は、米国のボストン・グローブ紙などが報じた。
【AFP】は、包囲行動後に伊波洋一宜野湾市長が開いた会見にも言及。米軍準機関紙の星条旗新聞は、18日付電子版で「県民が米軍基地を取り囲む」との見出しで、家族連れの参加者らのコメントを伝えた。
ちなみに 以下は【琉球新報】と【沖縄タイムス】
クリックして読んでみてくださいね。
それからタイムスのほうは ≪動画ニュース≫ もぜひ!
http://news.livedoor.com/article/detail/4773018/
http://www.okinawatimes.co.jp/article/20100517_6555/
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-05-17_6541/
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-05-18_6565/
住んで3年 延々と続く基地を囲むフェンスを見ていると
沖縄の中に基地があると思っていたけれど 基地の中に沖縄がある?
そんなふうに思う私です。
冷たい横からの雨がたたきつける中
普天間飛行場のフェンス沿いに約1万7千人の人
若者や親子連れ、高齢者らが続々と詰め掛けた。
参加者はフェンスに向いたり フェンスに背を向けたり
3回にわたり しっかりと手と手をつなぎ 高く頭上に掲げ
日米両政府に強いメッセージを送った。
今度こそ!の思いを込めて・・・・
今日 こんな記事を見つけたので アップしましょうね。
みなさんの地域ではどのような扱いで
みなさんの反応はどんなだったのでしょうか・・・・・
『普天間包囲 全国紙の扱いに濃淡 』
沖縄タイムス 2010年5月18日 09時37分 より
【東京】米軍普天間飛行場の無条件返還を求める「普天間基地包囲行動」を報じた東京発行の全国各紙の17日付朝刊は、朝日、毎日の2紙が1面、読売は第2社会面で伝えた。
各紙がそろってトップ級で掲載した4月25日の県民大会や4日の鳩山由紀夫首相の初来県に比べ、各紙の扱いは分かれた。
【朝日】は1面に「普天間 雨中の鎖」の見出し。
「基地を取り囲む約13キロの輪を完成させた」との記事を写真とともに掲載した。
社会面では、普天間問題で「直接国民の生活に影響しない」と発言した党幹部に抗議した民主の女性市議らの訴えを伝えた。
【毎日】は1面の中央に掲載。
政府が県内移設を軸にして米国と交渉していることに「この日も改めて『県内移設ノー』の意思を『人間の鎖』で鮮明に発信した」とした。
社会面では参加者の声を紹介した。
【読売】は第2社会面にあたる30面で「県内移設反対訴え 『普天間』に人間の鎖」との見出しで、
2段写真とともに10行の記事を掲載した。
【日本経済新聞】は「人間の鎖 普天間包囲」の記事を社会面に掲載。
サブ見出しは「雨の中、1万7000人『基地返せ』」とし
「イエローカード」を意味する黄色い布や風船を身につけた参加者らの様子や怒りの声を報じた。
そのほか
【産経】は写真なしの報道。
【東京新聞】は1面トップで「県内移設拒否『沖縄の意思』」と横見出しをつけた。
社会面にも写真入りで参加者らの声を載せた。
『海外通信社も配信』
【米国のAP通信(AP)】や【フランスのAFP通信(AFP)】は16日、普天間包囲行動を配信した。
【AP】は「1万7千人の住民が米軍基地を囲む 平和的な抗議」という見出しで配信。「
雨具姿の参加者たちはフェンス沿いでつないだ手を挙げ
『県内移設反対!』と抗議した」と当日の様子を写真付きで紹介した。
同通信の記事は、米国のボストン・グローブ紙などが報じた。
【AFP】は、包囲行動後に伊波洋一宜野湾市長が開いた会見にも言及。米軍準機関紙の星条旗新聞は、18日付電子版で「県民が米軍基地を取り囲む」との見出しで、家族連れの参加者らのコメントを伝えた。
ちなみに 以下は【琉球新報】と【沖縄タイムス】
クリックして読んでみてくださいね。
それからタイムスのほうは ≪動画ニュース≫ もぜひ!
http://news.livedoor.com/article/detail/4773018/
http://www.okinawatimes.co.jp/article/20100517_6555/
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-05-17_6541/
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-05-18_6565/
住んで3年 延々と続く基地を囲むフェンスを見ていると
沖縄の中に基地があると思っていたけれど 基地の中に沖縄がある?
そんなふうに思う私です。
Posted by fumi at
12:18
│Comments(0)
2010年04月26日
家族揃って行ってきました!続編
「4.25県民集会」 -沖縄の新聞-
本土ではまず見ることのない新聞
「沖縄タイムス」と「琉球新報」の今朝(26日)の紙面を紹介します。
本文は読めないと思いますが 写真と見出しから この熱気と 私たちの願いがみなさんに伝わり
本土でも 基地は沖縄だけの問題だなんて逃げないで しっかり向き合ってほしいなぁ~と
「一日も早く基地をなくしたい!」
「新たに造られた基地は 決してすぐにはなくならない!」
「この集会が 基地を造らせない最後の集会になるかもしれない!」
聞こえますか?
今もなお 基地と隣り合わせ 危険と隣り合わせで暮らしている沖縄のひとたちの叫びです。
穏やかな表情の向こうの悲痛な叫びを みなさんの感性で感じとって下さい。
いつまでも 沖縄の人たちの犠牲のうえに 胡坐をかいて知らんぷりして暮らすなんて
いけないことですよね~
本土ではまず見ることのない新聞
「沖縄タイムス」と「琉球新報」の今朝(26日)の紙面を紹介します。
本文は読めないと思いますが 写真と見出しから この熱気と 私たちの願いがみなさんに伝わり
本土でも 基地は沖縄だけの問題だなんて逃げないで しっかり向き合ってほしいなぁ~と
「一日も早く基地をなくしたい!」
「新たに造られた基地は 決してすぐにはなくならない!」
「この集会が 基地を造らせない最後の集会になるかもしれない!」
聞こえますか?
今もなお 基地と隣り合わせ 危険と隣り合わせで暮らしている沖縄のひとたちの叫びです。
穏やかな表情の向こうの悲痛な叫びを みなさんの感性で感じとって下さい。
いつまでも 沖縄の人たちの犠牲のうえに 胡坐をかいて知らんぷりして暮らすなんて
いけないことですよね~
Posted by fumi at
12:30
│Comments(0)
2010年04月26日
家族揃って行ってきました
「4.25県民集会」に行ってきました。
「今を逃したら 沖縄から基地がなくなることはないのでは」
そんな人々の思いが 会場を埋め尽くし 集まった人9万3千人余
嘉手納ロータリーは読谷運動広場(飛行場跡)へ向かう車でほとんど動かなかった
3時に始まった集会が終わった5時になってもまだ 会場に向かう人々の車の列が続く。
日本人として 沖縄県人として 今帰仁村民として ひとりの人間として私にできること
本土に住むみんなにも 考えてほしいな
自分たちのすべきこと
12時30分
我が今帰仁村からは大型バスとマイクロバス計4台が
幼児さんから80代のおばぁ(My Mother)やおじぃを乗せて出発。
こっちにきて 本土とちがうなぁ~ すごいなぁ~って思うことは
こんな県民集会に若者はもちろん赤ん坊から小学生
制服姿の中学生高校生が一緒に参加 拳を上げてガンバロー三唱してるってこと。
それが ちっとも過激じゃないし 何ともほほえましい光景。
お世話をしている村役場や教育委員会の職員も家族をつれての参加です。
いいですよね~
今日の司会は読谷高校の生徒 高校生代表のあいさつは普天間高校の生徒でした。
「今を逃したら 沖縄から基地がなくなることはないのでは」
そんな人々の思いが 会場を埋め尽くし 集まった人9万3千人余
嘉手納ロータリーは読谷運動広場(飛行場跡)へ向かう車でほとんど動かなかった
3時に始まった集会が終わった5時になってもまだ 会場に向かう人々の車の列が続く。
日本人として 沖縄県人として 今帰仁村民として ひとりの人間として私にできること
本土に住むみんなにも 考えてほしいな
自分たちのすべきこと
12時30分
我が今帰仁村からは大型バスとマイクロバス計4台が
幼児さんから80代のおばぁ(My Mother)やおじぃを乗せて出発。
こっちにきて 本土とちがうなぁ~ すごいなぁ~って思うことは
こんな県民集会に若者はもちろん赤ん坊から小学生
制服姿の中学生高校生が一緒に参加 拳を上げてガンバロー三唱してるってこと。
それが ちっとも過激じゃないし 何ともほほえましい光景。
お世話をしている村役場や教育委員会の職員も家族をつれての参加です。
いいですよね~
今日の司会は読谷高校の生徒 高校生代表のあいさつは普天間高校の生徒でした。
Posted by fumi at
01:01
│Comments(0)
2010年04月12日
リュウキュウキビタキ
強い南西の風が ヒューヒューとうなり声をあげ続けた午後
ふと外を見ると ガラスのすぐ向こうに 小さなリュウキュウキビタキが一羽
風のなか飛ばされまいと 目を瞑り 必死で爪をたて耐えている。
そのけなげな姿を みていられなくなって外に出た。
私が飛ばされそうなくらい すごい風。
いつもは あんなに憶病な鳥なのに 私がすぐそばに近づいても動けない
ただひたすら タイルのくぼみにしがみついて
やがて 風がとまった その一瞬
バタバタと羽を動かし 傾きながら低空飛行で茂みの中に逃げ込んだ。
今もその姿が ずっと私のこころを捉えて離さない。
今までツメナガセキレイだと思っていたけれど
大きさと鳴き声からからすると リュウキュウキビタキ みたいです。
沖縄本島ではここヤンバルの自然の中にしかいない
なかなか出会えない鳥
そういえば この鳴き声
君だったのね~
http://www.okinawa-kaeru.net/yanbaru/ryuukyuukibitaki-call.html
ふと外を見ると ガラスのすぐ向こうに 小さなリュウキュウキビタキが一羽
風のなか飛ばされまいと 目を瞑り 必死で爪をたて耐えている。
そのけなげな姿を みていられなくなって外に出た。
私が飛ばされそうなくらい すごい風。
いつもは あんなに憶病な鳥なのに 私がすぐそばに近づいても動けない
ただひたすら タイルのくぼみにしがみついて
やがて 風がとまった その一瞬
バタバタと羽を動かし 傾きながら低空飛行で茂みの中に逃げ込んだ。
今もその姿が ずっと私のこころを捉えて離さない。
今までツメナガセキレイだと思っていたけれど
大きさと鳴き声からからすると リュウキュウキビタキ みたいです。
沖縄本島ではここヤンバルの自然の中にしかいない
なかなか出会えない鳥
そういえば この鳴き声
君だったのね~
http://www.okinawa-kaeru.net/yanbaru/ryuukyuukibitaki-call.html
Posted by fumi at
21:58
│Comments(0)
2010年03月22日
ありがとう さようなら
3月18日 お昼あと・・・
今日は大潮 もうすぐ干潮かな
やって来たクジラたちが 子クジラをつれて北の海に帰っていく季節
ホエールウォッチングで出会ったクジラたちともそろそろお別れだなぁって
そんなことを考えながら 潮が引きはじめたイノーを歩くおじぃを
居間のテーブルで いつものように ぼんやり眺めていた私
うわぁ~~~
何やら海面がいつもと違う
ブロー?
こんな近くまでくるんだ・・・・
ブローがすごく短くて 数分で浮上してくる
もしかしたら子クジラ ?
目の前で 無邪気に 自由に
互いのコミュニケーションをとるために必要な
覚えたてのパフォーマンスを見せてくれる
『ブロー 』
クジラが浮上と共に溜めていた空気を吐き出す呼気
海水を吹き出しているわけではなく
体内で温められた空気が大気にふれ 白い霧状になって見えるんだそう
3m~5mの高さまで立ちのぼる。
『ブリーチング 』
連続写真でどうぞ(笑)
体を海面から宙に踊らせ 空中で体をひねって背中から海面へ落下する
その時の水音 それが仲間への合図
『スパイホッピング』
体を頭から水面に突き出して スパイのようにあたりの様子を眺める行動
ヘッドスラップとは違い そのままゆっくりと、また海中へ
『ペダンクルスラップ 』
尾柄部と尾など下半身を海面に叩きつける行動、
クジラの攻撃的な行動の一つ
『ペダンクルアーチ』
クジラが潜水を開始する際の行動
背中をアーチ状に曲げながら 背びれを水面にしっかりと
突き出して潜水していきます
『フルークアップ 』
ペンダンクルアーチに続いて潜行していく時に尾びれを水面に持ち上げる行動
『ペックスラップ 』
真横になって胸びれを何度も水面に叩き付けて大きな音を出す
上顎にあるコブもはっきり見ることが出来たよ
こんなに近くなのに 全然気づいてないおじぃ
この間 ここで見たときは 多分アダルトクジラ
ブローの間隔も 長くって あっという間に通り過ぎて行ったから
クジラのいないクジラの写真だったけど
今回は 20分くらい我が家の前のおおきな海で あっちに行ったりこっちに行ったり
楽しそうに 遊ぶ あそぶ
ありがとうね~
うれしかったよ~
また来年も 戻ってきてね~
庭で 普通にクジラが見られるってすごい!
とってもしあわせな気持ちになりました
自然の力ってすごい!
元気いっぱいもらいました
昨日は 今帰仁村で海開き
まだ3月だのに 時々春 時々真夏の今日この頃です
クジラのこと
夏は寒冷水域のベイリング海やアラスカ湾周辺で20頭~200頭の群れで暮らしていて
冬になると水温の暖かい沖縄海域や小笠原諸島 ハワイ諸島にやってきます。
訪れるところは毎年ほぼ同じですが冬の間は 1~4頭で行動し繁殖 子育てを行います。
ザトウクジラの妊娠期間は11~12ヶ月
母クジラのお腹の中で胎児は1ヶ月に約35cmほどの割合で大きくなり
体長約4~6㍍、体重約1.3㌧で生まれてくるそうです。
哺乳類である子クジラは母クジラの母乳で6~10ヶ月間かけて 7.5~9㍍に成長。
クジラは一日に約1トンの餌(オキアミや小魚であるニシン、さば、いわし等)を食べるのに
授乳期の子クジラが一日に飲むミルクの量が200リットルっていうのも驚きですね。
アダルトクジラに成るには2~10年かかり 体長12~16㍍ 体重24~40㌧位まで成長
寿命は70年だって~
今日は大潮 もうすぐ干潮かな
やって来たクジラたちが 子クジラをつれて北の海に帰っていく季節
ホエールウォッチングで出会ったクジラたちともそろそろお別れだなぁって
そんなことを考えながら 潮が引きはじめたイノーを歩くおじぃを
居間のテーブルで いつものように ぼんやり眺めていた私
うわぁ~~~
何やら海面がいつもと違う
ブロー?
こんな近くまでくるんだ・・・・
ブローがすごく短くて 数分で浮上してくる
もしかしたら子クジラ ?
目の前で 無邪気に 自由に
互いのコミュニケーションをとるために必要な
覚えたてのパフォーマンスを見せてくれる
『ブロー 』
クジラが浮上と共に溜めていた空気を吐き出す呼気
海水を吹き出しているわけではなく
体内で温められた空気が大気にふれ 白い霧状になって見えるんだそう
3m~5mの高さまで立ちのぼる。
『ブリーチング 』
連続写真でどうぞ(笑)
体を海面から宙に踊らせ 空中で体をひねって背中から海面へ落下する
その時の水音 それが仲間への合図
『スパイホッピング』
体を頭から水面に突き出して スパイのようにあたりの様子を眺める行動
ヘッドスラップとは違い そのままゆっくりと、また海中へ
『ペダンクルスラップ 』
尾柄部と尾など下半身を海面に叩きつける行動、
クジラの攻撃的な行動の一つ
『ペダンクルアーチ』
クジラが潜水を開始する際の行動
背中をアーチ状に曲げながら 背びれを水面にしっかりと
突き出して潜水していきます
『フルークアップ 』
ペンダンクルアーチに続いて潜行していく時に尾びれを水面に持ち上げる行動
『ペックスラップ 』
真横になって胸びれを何度も水面に叩き付けて大きな音を出す
上顎にあるコブもはっきり見ることが出来たよ
こんなに近くなのに 全然気づいてないおじぃ
この間 ここで見たときは 多分アダルトクジラ
ブローの間隔も 長くって あっという間に通り過ぎて行ったから
クジラのいないクジラの写真だったけど
今回は 20分くらい我が家の前のおおきな海で あっちに行ったりこっちに行ったり
楽しそうに 遊ぶ あそぶ
ありがとうね~
うれしかったよ~
また来年も 戻ってきてね~
庭で 普通にクジラが見られるってすごい!
とってもしあわせな気持ちになりました
自然の力ってすごい!
元気いっぱいもらいました
昨日は 今帰仁村で海開き
まだ3月だのに 時々春 時々真夏の今日この頃です
クジラのこと
夏は寒冷水域のベイリング海やアラスカ湾周辺で20頭~200頭の群れで暮らしていて
冬になると水温の暖かい沖縄海域や小笠原諸島 ハワイ諸島にやってきます。
訪れるところは毎年ほぼ同じですが冬の間は 1~4頭で行動し繁殖 子育てを行います。
ザトウクジラの妊娠期間は11~12ヶ月
母クジラのお腹の中で胎児は1ヶ月に約35cmほどの割合で大きくなり
体長約4~6㍍、体重約1.3㌧で生まれてくるそうです。
哺乳類である子クジラは母クジラの母乳で6~10ヶ月間かけて 7.5~9㍍に成長。
クジラは一日に約1トンの餌(オキアミや小魚であるニシン、さば、いわし等)を食べるのに
授乳期の子クジラが一日に飲むミルクの量が200リットルっていうのも驚きですね。
アダルトクジラに成るには2~10年かかり 体長12~16㍍ 体重24~40㌧位まで成長
寿命は70年だって~
Posted by fumi at
10:05
│Comments(6)
2010年03月11日
春
ここ数日 私のかわいい子どもたちから
「大学合格したよ~ 琉大じゃなくて北大やけど~」とか
「有馬のホテルのフロントに就職決まってん!泊まりに来てな~」とか
「大学合格したよ~ 琉大じゃなくて北大やけど~」とか
「有馬のホテルのフロントに就職決まってん!泊まりに来てな~」とか
それも なつかしい神戸弁で
うれしい!うれしい!春が来たー!って喜んでいたら
昨日からの暴風雨で 庭の鳳凰木が折れて半分になっちゃった。
いつかこんな日が来るかもって 覚悟はしていたけれど
どうすることもできなかったのよね
どうすることもできなかったのよね
これが 自然とともに生きるということ
つややかな紫の 可憐な花を咲かせてるヒメキランソウは
今はじっと耐えるときだと知っている
岩の間に 隠れるように ひっそりと咲くブーゲンは
きっと今日一日の命だとわかってる
ひとも いいかげん 学ばなくっちゃね~
風が見える
海から吹く風が見える
写真を撮りたくなって外にでた
潮で 私 萎れてしまうかもって呟きながら・・・・
潮で 私 萎れてしまうかもって呟きながら・・・・
風にからだがもって行かれ
立っていられなくなったから
寒くって手が悴んで シャッター押せなくなったから
「降参!!!」って
それから
ロフトにかけあがり
「私の隠れ家」にぺたんと座って
目の前に広がる海と 霞んだ水平線を見つめてた
「私の隠れ家」にぺたんと座って
目の前に広がる海と 霞んだ水平線を見つめてた
最近見なかったこんな海 唸る風の音を聞きながら なぜ?
大荒れの海に抱かれて 心安らぐ私
3/10 の日記
そんな昨日とはうって変わって 今日のこのお天気・・・・・
花も 鳥も 木々も 蝶も
みんなみんな な~んにもなかったように 生きてる
私も いつまで生きていられるかわからないけれど
できることなら
この美しい景色の一部になって ゆらりゆらりと暮らしていけたらしあわせだなぁ~
この美しい景色の一部になって ゆらりゆらりと暮らしていけたらしあわせだなぁ~
Posted by fumi at
16:07
│Comments(1)
2010年03月02日
ご心配おかけしました
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」
今から思えば怖いこと 悪いことばかりじゃなく
久しぶりに懐かしいお声を聞いたり メールをいただいたり
よかったな!って思える自分発見
今日は改めて 穏やかな海をながめ
こうして生きていられることに感謝。
今夜もきれいな月夜です。
日付が変わって昨日になってしまいましたが
旧の1月16日はあの世のお正月
ミチさんが頑張った「1フィート上映会in今帰仁」は
300人を超える 予想以上のみなさんが観に来てくださって嬉しかった。
夜中まで手伝って色塗りをした 60枚の手作りポスター
昨日はそのポスターを回収しました。
その帰り道 家のそばのお墓でお正月していた近所の方に誘われて
お墓の前に座って 一緒にお正月してしまいました。
お重に入った ごちそうをいただき おしゃべりに花を咲かせ
よき沖縄のしきたり・行事を体験 楽しいひと時でした。
ご先祖様はきっと
「この人たちはだれね~」ってきいたはず。
それから
「あい! 遠慮しないで一緒に食べていきなさい」とも
日曜日・月曜日と 久々にとっても怖い思いをしましたが
今日は 私はやっぱりここが好き~!!!って(笑)
ありがとうございました。
今から思えば怖いこと 悪いことばかりじゃなく
久しぶりに懐かしいお声を聞いたり メールをいただいたり
よかったな!って思える自分発見
今日は改めて 穏やかな海をながめ
こうして生きていられることに感謝。
今夜もきれいな月夜です。
日付が変わって昨日になってしまいましたが
旧の1月16日はあの世のお正月
ミチさんが頑張った「1フィート上映会in今帰仁」は
300人を超える 予想以上のみなさんが観に来てくださって嬉しかった。
夜中まで手伝って色塗りをした 60枚の手作りポスター
昨日はそのポスターを回収しました。
その帰り道 家のそばのお墓でお正月していた近所の方に誘われて
お墓の前に座って 一緒にお正月してしまいました。
お重に入った ごちそうをいただき おしゃべりに花を咲かせ
よき沖縄のしきたり・行事を体験 楽しいひと時でした。
ご先祖様はきっと
「この人たちはだれね~」ってきいたはず。
それから
「あい! 遠慮しないで一緒に食べていきなさい」とも
日曜日・月曜日と 久々にとっても怖い思いをしましたが
今日は 私はやっぱりここが好き~!!!って(笑)
ありがとうございました。
Posted by fumi at
01:08
│Comments(0)
2010年02月28日
「津波」
初めてって こんなに不安なんだ
そう
大好きな海がこんなに怖いって思ったことなかった
今夜は満月
潮が満ちて 薄明かりの中
じっと眼を凝らして見る海
月に照らされた海面
もしかしたら上昇してる?
不安な一日が終わろうとしています。
昨日今日と たくさんの方に電話やメールいただきました。
シマの人たちにも心配していただいて
おじいはわざわざ様子を見に来てくれました。
おばぁも心配で 何度も娘に電話をかけさせました。
夜になると「心配だったらみんなで家に来たらいいさぁ」って
とってもありがたかったです。
「家は大きくハングした8メートル以上ある岩のうえに建てられていますから
5メートルくらいの津波だったら大丈夫です。」
「浜に降りるV字の所だけ (狭くなっているので)注意です。」
「ニュース見て対策立ててください。」
「もう たぶん大丈夫です。」
心配で 1時間ごとにメールする私に返信
ほんとうにありがとう!
ただひとつだけ 気になっていること
夕方戻ってきたツバメが 今夜は 巣に入らないんだよね・・・・
西側の ポーチの天井近くの パイプ(たぶんガス管)に 2羽並んでとまって眠ってる
どうして?
天女とアダンに守られてる我が家
だけど
津波警報 はやく解除されますように・・・・・
そう
大好きな海がこんなに怖いって思ったことなかった
今夜は満月
潮が満ちて 薄明かりの中
じっと眼を凝らして見る海
月に照らされた海面
もしかしたら上昇してる?
不安な一日が終わろうとしています。
昨日今日と たくさんの方に電話やメールいただきました。
シマの人たちにも心配していただいて
おじいはわざわざ様子を見に来てくれました。
おばぁも心配で 何度も娘に電話をかけさせました。
夜になると「心配だったらみんなで家に来たらいいさぁ」って
とってもありがたかったです。
「家は大きくハングした8メートル以上ある岩のうえに建てられていますから
5メートルくらいの津波だったら大丈夫です。」
「浜に降りるV字の所だけ (狭くなっているので)注意です。」
「ニュース見て対策立ててください。」
「もう たぶん大丈夫です。」
心配で 1時間ごとにメールする私に返信
ほんとうにありがとう!
ただひとつだけ 気になっていること
夕方戻ってきたツバメが 今夜は 巣に入らないんだよね・・・・
西側の ポーチの天井近くの パイプ(たぶんガス管)に 2羽並んでとまって眠ってる
どうして?
天女とアダンに守られてる我が家
だけど
津波警報 はやく解除されますように・・・・・
Posted by fumi at
23:35
│Comments(8)
2010年02月27日
地震
午前5時31分
体も こころも覚えているものですね。
神戸の震災は午前5時46分でしたから
夜明け前のあの空気っていうか
眼が覚めた瞬間 震災を思い出しドキドキしました。
早朝 うす暗い中 突然の揺れ
正直 今回は怖かった!
ここ 今帰仁は震度4でしたが あまりに大きく長い揺れだったので
津波が心配で すぐに起きて 海を見ました。
何にも見えず 妙に静かで 不気味でした。
本島地方に一時 津波警報がでました。
糸満市では震度5弱(今回の地震は横ずれ断層型) 10cmの津波が観測されたそうです。
那覇の知人から 津波を心配してすぐに電話が入りました。
神戸からも 電話が入りました。
心配していただいてありがとうございました。
自然って 美しいけど とってもこわい・・・・
時々そう思います。
草ぼうぼうだった我が家のまわりも
牛飼いさんによって牧草地になり
雑草が刈られて 整備され 牧草の種が蒔かれ
今は きれいな緑で覆われています。
だけど 自分の求めていたものとは違うんですよね
なんだかさみしい気持ちです。
自然を破壊することなく 地球を破壊することなく 人が暮らしたら
地球は 息を吹き返し 森も川も海も人も本来の姿を取り戻す。
今 どんよりとした色の中で 海を眺めながらこんなことを考えてました。
2月27日7時0分配信の琉球新報です
27日午前5時31分ごろ、糸満では震度5弱の地震があった。
気象庁によると震源地は沖縄本島近海北緯26.3度、東経128.2度(那覇の東50キロ付近)で
震源の深さは約10キロ。
地震の規模はマグニチュード(M)6.9と推定される。
沖縄県警によると、地震での人的被害の情報はないが、那覇市と西原町で水道管が破裂した。
気象台は午前5時33分、沖縄本島地方に津波警報
奄美諸島・トカラ列島、大東島地方、宮古島・八重山地方に津波注意報を発表。
南城市安座間で午前5時57分と午前6時16分、10センチの津波を観測。
南大東でも午前5時52分、微弱な津波を観測した。
気象庁は午前6時30分、本島地方の津波警報を津波注意報に変更。
午前7時、沖縄地方、奄美地方に出ていた津波注意報をすべて解除した。
体も こころも覚えているものですね。
神戸の震災は午前5時46分でしたから
夜明け前のあの空気っていうか
眼が覚めた瞬間 震災を思い出しドキドキしました。
早朝 うす暗い中 突然の揺れ
正直 今回は怖かった!
ここ 今帰仁は震度4でしたが あまりに大きく長い揺れだったので
津波が心配で すぐに起きて 海を見ました。
何にも見えず 妙に静かで 不気味でした。
本島地方に一時 津波警報がでました。
糸満市では震度5弱(今回の地震は横ずれ断層型) 10cmの津波が観測されたそうです。
那覇の知人から 津波を心配してすぐに電話が入りました。
神戸からも 電話が入りました。
心配していただいてありがとうございました。
自然って 美しいけど とってもこわい・・・・
時々そう思います。
草ぼうぼうだった我が家のまわりも
牛飼いさんによって牧草地になり
雑草が刈られて 整備され 牧草の種が蒔かれ
今は きれいな緑で覆われています。
だけど 自分の求めていたものとは違うんですよね
なんだかさみしい気持ちです。
自然を破壊することなく 地球を破壊することなく 人が暮らしたら
地球は 息を吹き返し 森も川も海も人も本来の姿を取り戻す。
今 どんよりとした色の中で 海を眺めながらこんなことを考えてました。
2月27日7時0分配信の琉球新報です
27日午前5時31分ごろ、糸満では震度5弱の地震があった。
気象庁によると震源地は沖縄本島近海北緯26.3度、東経128.2度(那覇の東50キロ付近)で
震源の深さは約10キロ。
地震の規模はマグニチュード(M)6.9と推定される。
沖縄県警によると、地震での人的被害の情報はないが、那覇市と西原町で水道管が破裂した。
気象台は午前5時33分、沖縄本島地方に津波警報
奄美諸島・トカラ列島、大東島地方、宮古島・八重山地方に津波注意報を発表。
南城市安座間で午前5時57分と午前6時16分、10センチの津波を観測。
南大東でも午前5時52分、微弱な津波を観測した。
気象庁は午前6時30分、本島地方の津波警報を津波注意報に変更。
午前7時、沖縄地方、奄美地方に出ていた津波注意報をすべて解除した。
Posted by fumi at
10:53
│Comments(6)
2010年02月07日
グスク桜まつり
1月22日に始まった「今帰仁グスク桜まつり」が今日終わりました。
今年我が家は お花見のお客様が多かったので
私は お昼間3回 夜2回 グスクに
八重岳に2回 7回もお花見に行き 美しい緋寒桜を満喫しました。
日本一早い沖縄の桜は やんばるの八重岳から始まって
今帰仁グスク 名護から那覇へと南下していきますが
本土の桜は 南から北へ向かって北上していくのですよね。
はらはらと 散る「ソメイヨシノ」を懐かしく思いながら
今日は 雨にも負けず風にも負けず咲く ピンクの色濃い沖縄の桜を見ながら
ふと 宮沢賢治を思い出しました。
「雨ニモマケズ」
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい
沖縄から 日本から アメリカの基地がなくなる日はいつくるのでしょうね~
「今帰仁グスク桜まつり」の写真をアップしたいと思います。
ライトアップされたグスク
雨あがりの グスク旧道
めんそーれ 今帰仁グスクへ!
今年我が家は お花見のお客様が多かったので
私は お昼間3回 夜2回 グスクに
八重岳に2回 7回もお花見に行き 美しい緋寒桜を満喫しました。
日本一早い沖縄の桜は やんばるの八重岳から始まって
今帰仁グスク 名護から那覇へと南下していきますが
本土の桜は 南から北へ向かって北上していくのですよね。
はらはらと 散る「ソメイヨシノ」を懐かしく思いながら
今日は 雨にも負けず風にも負けず咲く ピンクの色濃い沖縄の桜を見ながら
ふと 宮沢賢治を思い出しました。
「雨ニモマケズ」
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい
沖縄から 日本から アメリカの基地がなくなる日はいつくるのでしょうね~
「今帰仁グスク桜まつり」の写真をアップしたいと思います。
ライトアップされたグスク
雨あがりの グスク旧道
めんそーれ 今帰仁グスクへ!
Posted by fumi at
23:41
│Comments(0)
2010年02月02日
「ホエールウォッチング」
私たちが23歳の時 出会った2組のご夫婦が
ちょっぴり重なるようにスケジュールを組んで 会いに来てくれました。
「ただいま~!」ってやって来て
家族のように過ごしてくれることがとっても嬉しくって
お昼間は 日本一早い「緋寒桜」を楽しんだり
「ホエールウォッチング」したり
夜は 映画を観て おしゃべりの花が満開
2人は同級生 2人はひとつ歳下
「姉妹ですか?」っていろんな人に聞かれたけど
そんなふうに見えるんだ・・・・
就職してから今日まで 一緒に過ごした懐かしい時間
35年経っても かわらないキャラクターに 大笑いするやらほっとするやら
あっという間の1週間でした。
そんな友人ご夫妻を見送って 日記アップしています。
今夜は「ホエールウォッチング」から
日曜日 朝からどんより曇り空 途中大雨
出港まもなく また雨が降りはじめ みんなびしょ濡れ
クルーザーも大揺れしてたけど 酔い止め薬が効いていたのか みんな元気
そんな中 40分ほどでポイントに到着
わくわくドキドキ
ん・・・・?
ブローだぁ~!
すぐそこに ザトウクジラ
間もなく
雲晴れて青空が ティダカンカン
海の色も きれいな群青色
「願えば叶う!」
それからは 前方で右で 左でブロー!ブロー!ブロー!
ボートを囲むようにクジラの群れが集まっていて
突然 目の前に現れては 様々なパフォーマンスを見せてくれました。
ボートと一緒に何度も泳いでくれました。
クジラは尾びれの模様で見分けることができるとか
今日は9頭のザトウクジラがいたそうです。
ちょっぴり重なるようにスケジュールを組んで 会いに来てくれました。
「ただいま~!」ってやって来て
家族のように過ごしてくれることがとっても嬉しくって
お昼間は 日本一早い「緋寒桜」を楽しんだり
「ホエールウォッチング」したり
夜は 映画を観て おしゃべりの花が満開
2人は同級生 2人はひとつ歳下
「姉妹ですか?」っていろんな人に聞かれたけど
そんなふうに見えるんだ・・・・
就職してから今日まで 一緒に過ごした懐かしい時間
35年経っても かわらないキャラクターに 大笑いするやらほっとするやら
あっという間の1週間でした。
そんな友人ご夫妻を見送って 日記アップしています。
今夜は「ホエールウォッチング」から
日曜日 朝からどんより曇り空 途中大雨
出港まもなく また雨が降りはじめ みんなびしょ濡れ
クルーザーも大揺れしてたけど 酔い止め薬が効いていたのか みんな元気
そんな中 40分ほどでポイントに到着
わくわくドキドキ
ん・・・・?
ブローだぁ~!
すぐそこに ザトウクジラ
間もなく
雲晴れて青空が ティダカンカン
海の色も きれいな群青色
「願えば叶う!」
それからは 前方で右で 左でブロー!ブロー!ブロー!
ボートを囲むようにクジラの群れが集まっていて
突然 目の前に現れては 様々なパフォーマンスを見せてくれました。
ボートと一緒に何度も泳いでくれました。
クジラは尾びれの模様で見分けることができるとか
今日は9頭のザトウクジラがいたそうです。
Posted by fumi at
22:53
│Comments(2)
2010年01月26日
はじめまして
さっき 海を見ながらコーヒータイムしていたら
とつぜん目の前で・・・・
「はじめまして!」って潮吹き
* この写真のように背中は確認できませんでしたが
ブローは3回見ましたよ
そう クジラさんでした
私がカメラ取りに行ってるほんの少しの間に フルークダウンして
* 写真は間に合わなかったけど こんなふうに見えたって
私だけ 見てない・・・・残念
「またね~」って行っちゃった
クジラの季節
これから 伊江島のまわりで赤ちゃん産んで
3月の下旬から4月ごろ帰っていく
また 会いに来てね!
我が家のすぐ前
このへんだったけどなぁ・・・・
クジラの写ってない クジラの写真 アハハ!
とつぜん目の前で・・・・
「はじめまして!」って潮吹き
* この写真のように背中は確認できませんでしたが
ブローは3回見ましたよ
そう クジラさんでした
私がカメラ取りに行ってるほんの少しの間に フルークダウンして
* 写真は間に合わなかったけど こんなふうに見えたって
私だけ 見てない・・・・残念
「またね~」って行っちゃった
クジラの季節
これから 伊江島のまわりで赤ちゃん産んで
3月の下旬から4月ごろ帰っていく
また 会いに来てね!
我が家のすぐ前
このへんだったけどなぁ・・・・
クジラの写ってない クジラの写真 アハハ!
Posted by fumi at
17:27
│Comments(3)
2010年01月18日
2010年 初日記
数日おきに初夏と真冬がやってくるから
私の背中は縮んだり緩んだり
かわいそうなくらい痛がってる
だからつい 太陽を見上げてつぶやいてしまう私
早く春がこないかなぁ~って
ほんとうはこの荒涼とした厳しい自然が 大好きなくせに
ここ数日のこちらのニュースは(辺野古の問題がもちろんトップだけど)
いよいよ あーさの季節ですとか 桜が咲き始めましたとか
春を告げる明るい内容の記事も少しずつふえて うれしい
気がつけばこれ 初日記?(笑)
時間泥棒っているんだ
2010年 元旦
「初御願と古典演奏」で始まり
京都から届いた お節に感動
写真は壱の重だけ 二の重と三の重は食べちゃってたから
7日
大阪より 師匠来沖
2年ぶりに聞いた唄 お元気な姿
ミチさんが言うように 唄と三線の音が家じゅうに広がり
我が家に ほんとうのお正月がやってきたようでした。
16日
子ども会まつり インフルエンザのため中止
みんなすっごく頑張って上等になってたのに残念!
それから
この日は「ジュウルクヌチー(十六日)」
グソー(あの世)のお正月といって 先祖と一緒にお正月を祝う日
今日までは 神様と人間が一緒に祝う神聖な期間なので 仏事はダメ
16日になってようやく仏事が許されるとのこと
シマの慰霊塔や我が家の周りのお墓にも お参りする人の姿
17日
震災 あれからもう15年
こんなに月日が流れても タイムスリップしてしまう
忘れられない 忘れてはいけない悲しい出来事
1月の第3日曜日は海洋博記念公園のトリムマラソン
今年も ミチさんや 友人が走るので応援
私は 記念のバスタオルがお目当て?
みんな完走 羨ましい
走ってみたいけど もう走れないだろうな~
夜は
「再見 また逢う日まで」って中国映画で 涙 涙 涙・・・・
涙は いろんなもの流してくれる
ちょっとだけ すっきり
そして 22日から始まる「桜まつり」
今年は例年より開花が少し遅いみたいだけど
城址が やんばるの山々がピンクに染まるのが楽しみ
来る24日は名護市長選
見守ることしかできないのがもどかしい
どうぞ 辺野古に 沖縄に 新たな基地が造られませんように!
最近 三線のお稽古にはまってます
どんどん はまってます。
今更?って自分でも思うけど
逃避なのかもしれないけど
心の 琴糸に響きます
大荒れの美しい海を ぼんやりと眺めながら
私のこころの中で 脈絡のないおもいが ぐるぐるとめぐる日々
そんな日常から逃れたいと思っている私に
抜群に綺麗な荒れる海を観ているなんて!
この世に何名いるかしら?
ヘミングウェイーのような暮らしだねって
そういわれて思い出した ヘミングウェイの言葉
「釣れないときは 魚が考える時間をくれたと思えばいい」
感性を研ぎ澄まし 静かに心で読むと
言葉や意味ではなく 情景そのものがこころに響く
そうだね・・・・・
また読んでみようかな 中学生のころ読んだ「アーネスト・ヘミングウェイ」
私の背中は縮んだり緩んだり
かわいそうなくらい痛がってる
だからつい 太陽を見上げてつぶやいてしまう私
早く春がこないかなぁ~って
ほんとうはこの荒涼とした厳しい自然が 大好きなくせに
ここ数日のこちらのニュースは(辺野古の問題がもちろんトップだけど)
いよいよ あーさの季節ですとか 桜が咲き始めましたとか
春を告げる明るい内容の記事も少しずつふえて うれしい
気がつけばこれ 初日記?(笑)
時間泥棒っているんだ
2010年 元旦
「初御願と古典演奏」で始まり
京都から届いた お節に感動
写真は壱の重だけ 二の重と三の重は食べちゃってたから
7日
大阪より 師匠来沖
2年ぶりに聞いた唄 お元気な姿
ミチさんが言うように 唄と三線の音が家じゅうに広がり
我が家に ほんとうのお正月がやってきたようでした。
16日
子ども会まつり インフルエンザのため中止
みんなすっごく頑張って上等になってたのに残念!
それから
この日は「ジュウルクヌチー(十六日)」
グソー(あの世)のお正月といって 先祖と一緒にお正月を祝う日
今日までは 神様と人間が一緒に祝う神聖な期間なので 仏事はダメ
16日になってようやく仏事が許されるとのこと
シマの慰霊塔や我が家の周りのお墓にも お参りする人の姿
17日
震災 あれからもう15年
こんなに月日が流れても タイムスリップしてしまう
忘れられない 忘れてはいけない悲しい出来事
1月の第3日曜日は海洋博記念公園のトリムマラソン
今年も ミチさんや 友人が走るので応援
私は 記念のバスタオルがお目当て?
みんな完走 羨ましい
走ってみたいけど もう走れないだろうな~
夜は
「再見 また逢う日まで」って中国映画で 涙 涙 涙・・・・
涙は いろんなもの流してくれる
ちょっとだけ すっきり
そして 22日から始まる「桜まつり」
今年は例年より開花が少し遅いみたいだけど
城址が やんばるの山々がピンクに染まるのが楽しみ
来る24日は名護市長選
見守ることしかできないのがもどかしい
どうぞ 辺野古に 沖縄に 新たな基地が造られませんように!
最近 三線のお稽古にはまってます
どんどん はまってます。
今更?って自分でも思うけど
逃避なのかもしれないけど
心の 琴糸に響きます
大荒れの美しい海を ぼんやりと眺めながら
私のこころの中で 脈絡のないおもいが ぐるぐるとめぐる日々
そんな日常から逃れたいと思っている私に
抜群に綺麗な荒れる海を観ているなんて!
この世に何名いるかしら?
ヘミングウェイーのような暮らしだねって
そういわれて思い出した ヘミングウェイの言葉
「釣れないときは 魚が考える時間をくれたと思えばいい」
感性を研ぎ澄まし 静かに心で読むと
言葉や意味ではなく 情景そのものがこころに響く
そうだね・・・・・
また読んでみようかな 中学生のころ読んだ「アーネスト・ヘミングウェイ」
Posted by fumi at
23:11
│Comments(0)
2009年12月31日
年越し
年越しの夜
家族3人で藤沢周平の「山桜」観てました。
山桜は私の大好きな花
父が大好きだった花
よく一緒に見に行ったものです。
山桜を眺める父のやさしい眼差しが思い出されます。
今年も残すところ 3分
いろんなことが いっぱいあったけど
たくさんの人に支えていただいて しあわせな1年でした。
ありがとうございました。
2010年もどうぞよろしく!
皆様 どうぞよいお年をお迎えください。
<山桜の写真 なかったので転載させてもらってます>
家族3人で藤沢周平の「山桜」観てました。
山桜は私の大好きな花
父が大好きだった花
よく一緒に見に行ったものです。
山桜を眺める父のやさしい眼差しが思い出されます。
今年も残すところ 3分
いろんなことが いっぱいあったけど
たくさんの人に支えていただいて しあわせな1年でした。
ありがとうございました。
2010年もどうぞよろしく!
皆様 どうぞよいお年をお迎えください。
<山桜の写真 なかったので転載させてもらってます>
Posted by fumi at
23:56
│Comments(1)
2009年12月14日
私の大好きな人たち
昨日は とってもハードな だけど すっごく楽しい一日でした。
朝 9時から婦人会と子ども会の花壇の草抜き。
みなさんは草抜き 好きですか?
何にも考えずに むせるような草と土の匂いのなかでひたすら草をつかむ。
無になれるその時間が 私は結構好きです。
そして夜は 婦人会恒例の「忘年会」
笑った!わらった!ワラッタ!
何もかも忘れて ほんと笑いまくりました。
きっと ほかのお客様には ご迷惑だったことと申し訳なく思いますが
でも 私は いつもこうして 一緒に笑ってくれる仲間がいることを再確認でき
しあわせだなぁ~って
自分の心がちょっぴり大きくなったような気がしました。
そしてその草抜きと7時からの忘年会の間に
昨日のメインイベントだった ユール&ミナさんのライブに行きました。
シマの子どもたちとお母さんたち総勢17人で
いつものことですが
初めてユールさんに出会った子どたちの顔
初めてその音を聞いた時の 子どもたちの顔
普段 見せることのない顔がみられるその瞬間が 私は大好きです。
同じ沖縄に住んでいながら なかなかお会いできず
この前は・・・・・そうそう父の墓祝いのとき(昨年の6月)でしたね。
昨日は 大好きなお二人の 音に ダンスに
何もかも忘れて 心ときめき 安らいだライブ
ありがとう!の気持ちでいっぱいです。
久々にユールさんと出会った日のことがよみがえってきました。
初めて聞いた 彼の叩くジェンベの音が体の中にす~っと入ってきたあの日
不思議なくらい 心が安らいだのはなぜ?
会うたびごとに その人柄にふれるごとに
少しずつ その理由がわかったような気がします。
ひとりでもたくさんの方に 知ってほしい
ユールさんのおもい。
リルーちゃん 大きくなったね~
エレナちゃんの姿に リルーちゃんの姿が重なり
ギニアでの結婚式のこと 初めて体験したあの儀式
何よりも ユールファミリーのホスピタリティに感激したこと などなど
あれはちょうど10年前の12月
またいつの日か 一緒に帰郷させてくださいね!
詳しくは 以下 ミチさんのブログで御覧下さい
「やっぱり西アフリカはいい」
10年来の友人(実は私たちの先生)が近くでライブをやるというので家族総出で
それとシマの小学生やお母さんとお父さんと みんなで観に行った。
いや聴きに行った。いや会いに行った。
家から車で15分のところにこんなログハウス(喫茶&宿)がある
そこで西アフリカンリズムが炸裂した
動画で音を聞いてもらえないのが残念です(彼はプロなので)。
でも写真は許してもらおう
紹介します 手前がユールさん。日本にギニアのジェンベ(伝統打楽器)を最初に伝えた、その人です。
この演奏にあわせて美奈さんが太鼓以上に激しく踊る。
足裏で顔を蹴飛ばされそうなぐらいのところに座っていたので、もうその迫力のすごいこと。
2時間たっぷり、西アフリカサウンドのシャワーを浴びました。
1999年の12月に、彼らの里帰りに便乗してギニアを訪れたときのあの空気感がよみがえりました。
生活の中に音楽がありました。
子ども達がその中で大きくなっていく暮らしがありました。
ユールは沖縄に祖国に通じるものを感じ、私たちよりずいぶん早く沖縄に移り住みました。
いまは演奏とともに彼らの2人の娘さんの成長を見るのが楽しみです。今日みたいに。
それから今日はもうひとつおまけがありました。
Fumiさんがほんとうに久しぶりに、人前でジェンベを叩きました。
さんしんを弾いているときの顔より
ピアノを弾いているときの顔より
それはうれしそうな顔でした。
朝 9時から婦人会と子ども会の花壇の草抜き。
みなさんは草抜き 好きですか?
何にも考えずに むせるような草と土の匂いのなかでひたすら草をつかむ。
無になれるその時間が 私は結構好きです。
そして夜は 婦人会恒例の「忘年会」
笑った!わらった!ワラッタ!
何もかも忘れて ほんと笑いまくりました。
きっと ほかのお客様には ご迷惑だったことと申し訳なく思いますが
でも 私は いつもこうして 一緒に笑ってくれる仲間がいることを再確認でき
しあわせだなぁ~って
自分の心がちょっぴり大きくなったような気がしました。
そしてその草抜きと7時からの忘年会の間に
昨日のメインイベントだった ユール&ミナさんのライブに行きました。
シマの子どもたちとお母さんたち総勢17人で
いつものことですが
初めてユールさんに出会った子どたちの顔
初めてその音を聞いた時の 子どもたちの顔
普段 見せることのない顔がみられるその瞬間が 私は大好きです。
同じ沖縄に住んでいながら なかなかお会いできず
この前は・・・・・そうそう父の墓祝いのとき(昨年の6月)でしたね。
昨日は 大好きなお二人の 音に ダンスに
何もかも忘れて 心ときめき 安らいだライブ
ありがとう!の気持ちでいっぱいです。
久々にユールさんと出会った日のことがよみがえってきました。
初めて聞いた 彼の叩くジェンベの音が体の中にす~っと入ってきたあの日
不思議なくらい 心が安らいだのはなぜ?
会うたびごとに その人柄にふれるごとに
少しずつ その理由がわかったような気がします。
ひとりでもたくさんの方に 知ってほしい
ユールさんのおもい。
リルーちゃん 大きくなったね~
エレナちゃんの姿に リルーちゃんの姿が重なり
ギニアでの結婚式のこと 初めて体験したあの儀式
何よりも ユールファミリーのホスピタリティに感激したこと などなど
あれはちょうど10年前の12月
またいつの日か 一緒に帰郷させてくださいね!
詳しくは 以下 ミチさんのブログで御覧下さい
「やっぱり西アフリカはいい」
10年来の友人(実は私たちの先生)が近くでライブをやるというので家族総出で
それとシマの小学生やお母さんとお父さんと みんなで観に行った。
いや聴きに行った。いや会いに行った。
家から車で15分のところにこんなログハウス(喫茶&宿)がある
そこで西アフリカンリズムが炸裂した
動画で音を聞いてもらえないのが残念です(彼はプロなので)。
でも写真は許してもらおう
紹介します 手前がユールさん。日本にギニアのジェンベ(伝統打楽器)を最初に伝えた、その人です。
この演奏にあわせて美奈さんが太鼓以上に激しく踊る。
足裏で顔を蹴飛ばされそうなぐらいのところに座っていたので、もうその迫力のすごいこと。
2時間たっぷり、西アフリカサウンドのシャワーを浴びました。
1999年の12月に、彼らの里帰りに便乗してギニアを訪れたときのあの空気感がよみがえりました。
生活の中に音楽がありました。
子ども達がその中で大きくなっていく暮らしがありました。
ユールは沖縄に祖国に通じるものを感じ、私たちよりずいぶん早く沖縄に移り住みました。
いまは演奏とともに彼らの2人の娘さんの成長を見るのが楽しみです。今日みたいに。
それから今日はもうひとつおまけがありました。
Fumiさんがほんとうに久しぶりに、人前でジェンベを叩きました。
さんしんを弾いているときの顔より
ピアノを弾いているときの顔より
それはうれしそうな顔でした。
Posted by fumi at
14:26
│Comments(0)
2009年12月13日
もうすぐ
一度は寒くなりかけた沖縄ですが ここ数日お天気が続き
今日は汗ばむほどの暑さ
海も青く 波 穏やかできれいです。
もうすぐ クリスマス そしてお正月ですね。
今頃 神戸はルミナリエ?
ここは イルミネーションもないし ジングルベルも聞こえないけど
草のにおいと 潮のにおいに満天の星がとってもきれいです。
1年のうちで夜がもっとも長いこの季節
明るい星が少なく寂しかった秋の空から
色とりどりの1等星がたくさん輝く 冬の空へと変わっています。
14日ごろには「ふたご座流星群」が見られるんだって。
ちょうど 月明かりのない絶好の条件
一晩中 四方八方に飛ぶたくさんの流れ星・・・・・
願いごとが叶うといいなぁ~
声が出るようになりますように!
毎日 ピアノを弾いています。
三線も 弾いてます。
穏やかな気持ちになれます。
研究所に掲げられている 師匠の言葉
「継続は力なり」
「塾道無限」 を心に
力量以上の課題に四苦八苦しながら
悩んだり 楽しんだりの今日この頃です。
今日は汗ばむほどの暑さ
海も青く 波 穏やかできれいです。
もうすぐ クリスマス そしてお正月ですね。
今頃 神戸はルミナリエ?
ここは イルミネーションもないし ジングルベルも聞こえないけど
草のにおいと 潮のにおいに満天の星がとってもきれいです。
1年のうちで夜がもっとも長いこの季節
明るい星が少なく寂しかった秋の空から
色とりどりの1等星がたくさん輝く 冬の空へと変わっています。
14日ごろには「ふたご座流星群」が見られるんだって。
ちょうど 月明かりのない絶好の条件
一晩中 四方八方に飛ぶたくさんの流れ星・・・・・
願いごとが叶うといいなぁ~
声が出るようになりますように!
毎日 ピアノを弾いています。
三線も 弾いてます。
穏やかな気持ちになれます。
研究所に掲げられている 師匠の言葉
「継続は力なり」
「塾道無限」 を心に
力量以上の課題に四苦八苦しながら
悩んだり 楽しんだりの今日この頃です。
Posted by fumi at
00:19
│Comments(4)